仙台育英・須江航監督 選手の力引き出す“魔法の言葉”「自分たちのできることに集中しよう」

勝利の要因を「大会中の選手の成長と自然体が引き寄せた」と語った須江監督(撮影・佐藤究)

<仙台育英 日本一の軌跡(後編)>

8月22日。仙台育英(宮城)が、東北勢悲願の「大旗白河越え」を実現した。日刊スポーツ東北版では「仙台育英 日本一の軌跡」と題し、前、後編2回にわたり、18年から監督を務める同校OB・須江航監督(39)のインタビューを掲載します。後編は、1年ごとに掲げる「チームのテーマ」、選手とのコミュニケーション方法など、就任から優勝に至るまでの取り組みに迫った。就任5年目で手にした栄光の裏には、指揮官の絶え間ない努力があった。【取材・構成=佐藤究】

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仙台育英が深紅の大優勝旗を東北の地に持ち帰った。100年を超す高校野球史に新たな1ページを刻み“東北勢の呪縛”を打ち破った。「優勝の要因は?」。須江監督が、率直な心境を明かしてくれた。

「一番の要因はないです。(夏の)県大会が終わった段階で(仙台育英が甲子園で優勝するとは)誰ひとりとして思っていなかったと思います」

甲子園優勝が期待されるほど、夏の県大会は圧倒的な勝ち上がりではなかった。柴田との1回戦は、5回終了時点で2-2。6回以降に4点をリードするも、最終回に2点差と迫られたが、何とか逃げ切った。聖和学園との決勝は3-1。スクイズで2点を奪うなど、例年に比べ、打撃面では迫力を欠いていた。

「優勝できた一番の要因はない」と語った監督だが、勝利の要因を2つ挙げてくれた。<1>勝ち上がりながら、強くなることができたこと<2>県大会から甲子園の決勝まで、同じ空気感で戦えたこと

県大会では振るわなかった打撃面が、勝ち上がるたびに向上した。「狙い球の絞り方に加え、積極性も出てきました」と振り返る。5試合で2桁安打が4試合あり、上位から下位まで抜け目がなかった。その裏には選手の力を引き出す“魔法の言葉”があった。「身の丈にあった野球」。監督が大会を通じて言い続けてきた言葉だ。「『自分たちのできることに集中しよう』と言っていました。すごく(思考が)整備されて、プレーに迷いがなかった。野手は期待以上の成長でした」と驚くほど、選手は成長曲線を描いた。

一方、投手陣は言うことなしだった。145キロを超える投手5人の継投策による万全な試合運び。5試合11失点で1試合平均の失点は2・2。「投手陣は想定通りでした。『これくらいやってくれるだろう』の上でも下でもなかった」

その要因には「緻密な投手管理」があった。「選手との確認方法がより密になりました。練習を細かく計画的にしました。基本的には選手自ら調整を行いますが、いつ、どこで何のメニューをしているかを共有するようになりました」。県大会4回戦で敗れた昨夏は投手陣の調子が上がらず、それが大きな致命傷になった。その反省を踏まえ、普段の取り組み方を修正した。「投手陣がきちっと調整してくれた。パワプロ(ゲームソフトの「パワフルプロ野球」)などである、調子が悪いマークの選手がいなかった。絶好調とは言わないですが、不調の選手はいなかった」

「自然体」が引き寄せた優勝だった。「県大会1回戦から甲子園決勝まで全部同じ空気でした。甲子園決勝の日も、勝てば明日も試合がありそうな感じでした」。監督にとっては、春夏合わせ5度目の采配だったが、それは初めての感覚だったという。「普段着で大会(甲子園)に行って、気づいたら優勝していた感覚です。Tシャツとジーパンで(甲子園に)入って、優勝したみたいな感じ。勝ち上がっていくと雰囲気も変わるのですが、選手、監督が本当に落ち着いていました」。気負いがなく、甲子園独特の雰囲気にのまれることもなかった。

就任5年目。1日1日の積み重ねがあった。監督は、新チーム始動時に「チームのテーマ」を掲げる。就任直後の18年1月は「守備と走塁」。同年10月から19年5月は「打撃の基礎的な概念」と、チームの指針をより明確にしていった。20年は「2年分(18、19年)のコラボレート」と位置づけていたが、コロナ禍の影響で21年に持ち越された。ある意味、1つの“集大成”だった21年は、センバツで8強入りするも、夏は甲子園にたどり着くことすらできなかった。結果だけを見れば「失敗」だったが、その信念がぶれることはなかった。「結果は失敗に終わりましたが、得られたものはたくさんありました。(18年の就任から)1000日ちょっと取り組んできたことを、22年はフルモデルチェンジではなくマイナーチェンジさせました。仕様を変えました」。東北勢初の甲子園優勝は、5年の絶え間ない積み重ねの結晶でもあった。

謙虚に新たな目標に歩みを進める。「この夏は成功体験ではないです。優勝したことによって、固定概念ができてしまうので、選手には『そういうものはないよ。学年が変わるので夏春連覇という概念はない。小さな目標を立てながら“2回目の初優勝”を目指そう』と言っています」。

現チームには夏の甲子園Vメンバーが多く残る。史上5校目の「夏春連覇」の期待もかかるが、地に足をつけながら、新たな目標に向かって突き進んでいく。

◆須江航(すえ・わたる)1983年(昭58)4月9日生まれ、さいたま市出身。小2で野球を始め、鳩山中(埼玉)から仙台育英入学。2年秋から学生コーチとなり、3年春夏の甲子園に出場(春は準優勝)。八戸大(現八戸学院大)でも学生コーチを務めた。06年から仙台育英系列の秀光中軟式野球部監督となり、14年に全国制覇。18年1月から仙台育英の監督に就任。1年目の夏から甲子園に出場。今夏を含めチームを5度の甲子園出場に導く。情報科教諭。