第96回選抜高校野球大会(3月18日開幕、甲子園)の出場32校を決める選考委員会が26日、大阪市内で開かれる。21世紀枠東北地区代表の仙台一は、74年ぶりとなる甲子園出場決定の朗報を待つ。同校野球部の阿部翔人部長(29)は、11年の東日本大震災の翌年、12年春のセンバツに21世紀枠で出場し、石巻工主将として選手宣誓を行った。阿部部長に2度目の甲子園出場に懸ける思いを聞いた。
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「感動、勇気、そして笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を」。この言葉が日本中を感動に包み、被災地に一筋の光をもたらした。11年3月11日。グラウンドで練習をしていた当時1年生の阿部部長を震度7の地震と大津波が襲った。その1カ月後、残っていたボールとバット数本で練習を再開。野球ができる喜びを感じる半面、「この状況で野球をやっていて良いのだろうか…」と複雑な心境だったのを覚えている。それでも、保護者や先生、地域住民はナインを後押し。阿部部長は「大人たちが『(野球を)やっていいんだぞ』という雰囲気をつくってくれ、野球がある“日常″に戻してくれた。その応援や期待に応えて恩返しをしようと思った」と当時を振り返った。
1年後、恩返しをしたいという思いが現実となった。21世紀枠での12年春のセンバツ出場が決定。さらに巡り合わせなのか、抽選で選手宣誓を務めることになった。被災した部員らがホワイトボードへそれぞれの思いを書き記し、それをもとに文面を作成。全員の思いがこめられた選手宣誓だった。「自分だけではなく、いろんな人の思いをあの場所で発信できた達成感がありましたし、石巻工が来た意味があったのかなと」。
その後、小学校からの夢だった教師を目指し、日体大へ進学。卒業後、非常勤講師として地元石巻に赴任。難関の教員採用試験に苦戦し、何度もくじけそうになったが「野球を教えたい」という強い思いが阿部部長の支えとなった。
長年の夢をかなえ「5度目の正直」で21年4月から保健体育の教員として仙台一に着任。そして今日26日、野球部部長として自身2度目となる甲子園出場の朗報を待つ。元日には能登半島地震が発生。阿部部長は「(もし出場が決まったら選手には)一生懸命に球を追ったり、ひたむきにプレーしてほしい。2時間(試合時間)という時間ですけど、つらい状況を少しでも忘れられるような姿を見せたい」と同じ被災を経験した立場として、被災地を思いやった。東日本大震災からまもなく13年。2度目の甲子園では教師として、暗闇に明かりをともす先導役を担う。【木村有優】
◆阿部翔人(あべ・しょうと)1994年(平6)8月25日生まれ、宮城県石巻市出身。鹿妻小1年時に鹿妻子鹿クラブで野球を始め、渡波中では石巻中央シニアでプレー。石巻工時代は1年春から背番号「20」でベンチ入りし、1年秋に公式戦デビュー。12年春のセンバツに21世紀枠で出場し、主将として選手宣誓を務めた。卒業後は日体大に進学。4年間の非常勤講師を経て、21年4月から保健体育の教員として仙台一に着任。