計6度の手術を経て信太・高川倭が高校の公式戦で初めて勝利の喜び味わう 母も観客席で涙/大阪

東住吉総合・泉尾工対信太 7回、東住吉総合・泉尾工1死一塁、遊ゴロ併殺で7回コールド勝利を決めウイニングボールをつかんだ信太・高川(撮影・塚本光)

<高校野球大阪大会:信太7-0東住吉総合・泉尾工>◇16日◇2回戦◇くら寿司スタジアム堺

計6度の手術を経て、信太(しのだ)の高川倭(やまと)内野手(3年)が「やっと始まったな」という気持ちで、高校入学後初となる夏の公式戦に臨んだ。先制点につながる犠打を決め、快勝に貢献。「初めてだったので楽しかった」と話し、「初めて味わう不思議な感覚」と明かした。

中学3年夏、試合中に突然目の前が真っ暗になり、意識が戻ると公園のトイレにいた。熱中症だと思ったが、授業中にも何度か症状が現れ「てんかん発作」と診断。同年秋に原因が「脳動静脈奇形(AVM)」と判明。病名を伝えられた際の心境を「『原因がこれなんや』って落ち込むことはなかった」と振り返った。

高校1年春から2年春までに4度のカテーテル手術1度の開頭手術。別の場所も見つかり、高校2年夏に再度開頭手術を行った。経過観察が続き、同10月ごろに治療が終了。「夏までとにかく頑張ろう」という気持ちだった。「野球がやりたい」という思いや、友人と体を動かす目標、そして、母の支えがあって乗り越えた。

運動が可能になり「(練習は)ゆっくり段階を踏みながらやっていきました」と明かした。今年3月ごろから本格的な練習ができた。

高校1年の冬には「(野球部を)やめたい」と母に伝えたが「まだやれるチャンスがあるから、もうちょっとやってみいひんか」と言われ、続けられた。治療中も登校できる時は休まず練習に参加し、チームを支えた。

息子の姿を「誇りに思っていた」と話す母は観客席から応援し涙。「楽しそうにやっているのが目に見えてよかった。頑張ってきたかいがあるな」と感慨深い様子で、勝利で仲間とハイタッチしている姿を見て「もう久しぶりに野球やっているって感じがしました。病気になる前の野球をしている姿と少し重なった気がする」と語った。

今春の府大会で初のベンチ入り。母は背番号「3」のゼッケンを「泣きながら縫った」と明かし、本人も「うれしかった」と振り返った。打点も挙げた。

母方の祖父母が野球好きでいつも応援に来ていた。仕事で観戦はできなかったが、応援のメールが届いた。「ソフトボール(小学生の時に所属)の監督が見に来て、動画撮ってくれていた。手術してよかった、野球ができるようになってよかった」と喜び、本人も周囲からの応援の気持ちを実感した。母は「今まで関わって来てくれた人がみんないい人。病気をしたことによって、みんながこんなに倭のことを想ってくれている、ということをすごく感じた」と感謝し、本人も「3年生も復帰しても悪口とか何も言って来なかった」と明かした。

濱田将嗣(しょうじ)監督(39)は「(復帰して)みんなうれしいんでしょう」と笑顔。「愛されキャラ」と話した。