【復刻】横浜・松坂大輔が延長17回250球を投げ抜いたPL学園戦 名将・渡辺元智監督の決断

1998年8月20日、第80回全国高校野球選手権準々決勝 横浜対PL学園 延長17回を完投した横浜の松坂大輔

高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。

高校野球界で一時代を築き、松坂大輔ら数多くプロ野球選手を育てた名将だった。選手としては横浜高で中堅手。同期には後に2人三脚で横浜を強豪にした小倉清一郎(元横浜高野球部長)がいた。自身は神奈川大に進んだが故障でプレーを断念。それでも65年に母校の野球部長に就任し、68年からは24歳の若さで監督に就いた。

指導者としてのキャリアが凄まじかった。73年には春の選抜で優勝。80年には愛甲猛を擁して夏では初の全国制覇を果たした。小倉部長とコンビを組んでからは、98年に松坂を主戦に初夏の甲子園、明治神宮大会、国体と4冠で公式戦年間無敗のチームを作り上げた。甲子園通算では春15回、夏12回の出場で5度の優勝。51勝22敗の戦績を誇った。

 

28年が経過した今でも甲子園の偉大なドラマとして語り継がれる「松阪の伝説」を当時の記事とともに振り返る。

 

【準々決勝(1998年8月20日)PL学園戦 9-7 延長17回】

耐えた、勝った。そして涙。甲子園の球史にまたドラマが生まれた。横浜(東神奈川)松坂大輔投手(3年)が入魂の250球力投で難敵PL学園を倒した。事実上の決勝戦ともいえる東西横綱の対決は追いつ追われつ、延長17回、3時間37分の激闘。最後は常盤(ときわ)良太内野手(3年)の2ランで挙げた2点を松坂が守り抜いた。前回優勝の1980年(昭55)以来18年ぶり4強進出の横浜はきょう21日の準決勝で、明徳義塾(高知)と対戦する。

 

松坂は泣いていた。7―7で迎えた延長17回表2死一塁。常盤が右中間中段に決勝の2ランをたたき込む。三塁側ベンチ横で肩慣らしをしていた松坂のひとみが真っ赤に潤んだ。点を取っても取っても追いつかれる。負けるかもしれない。今までに感じたことのない恐怖感を、常盤の一発が吹き飛ばしてくれた。「感激しました。これで勝てると確信しました」。ベンチに戻ってきた常盤に心から「ありがとう」の言葉をかけ、もう一度気合を入れてマウンドに向かった。

最後まで怪物ぶりを発揮した。17回に147キロの速球を2球も投げ、最後の打者は133キロ外角低めのスライダーで見逃し三振に取った。疲れきった体を引きずりながら三塁側アルプス席応援団の前に整列して一礼。沈着冷静な捕手の小山が、大粒の涙を流す。松坂も、帽子で汗をぬぐうふりをして、涙をぬぐった。

「野球人生で一番苦しい試合。(PL学園の)自分を打とうという気迫や勢いを全員に感じた。本当に勝ってよかった」。練習でも投げたことのない250球。前日19日の星稜(石川)戦から2日間連投で398球。今夏の甲子園4試合では645球。180センチ、76キロのスタミナ自慢の男が「あした(21日)は投げられません」と話すほどに疲れきっていた。

三振は11個。春夏合計で85個となった。尊敬する桑田(巨人)の81をPL学園戦で上回ったのも因縁を感じさせる。「疲れはあったけど真っすぐもきていた。16回に1点を取られて追いつかれても集中力を切らさず、気迫がすごかった」。女房役小山が驚く精神力で苦戦を耐えた。

この日ほどチームメートに感謝したことはない。「松坂のワンマンチーム」と言われ続け、事実、その右腕で勝ち抜いてきた。しかし、あらためて全員野球の大切さを学んだ。2回裏に自らの野選をきっかけに3点の先制を許す苦しい立ち上がり。小山の2ランと松本の2点三塁打で追いついたが、相手打線も手を緩めることなく襲いかかってきた。「みんなが点を取ってくれるから、オレたちは抑えることに専念しようぜ」。小山の励ましにどれだけ勇気づけられたことか。

延長に入ると、松坂は何度もグラブに刺しゅうした言葉をつぶやいた。「ONE FOR ALL」(一人はみんなのために)。センバツの時は帽子の裏に書いた言葉を、東神奈川県大会準決勝から使い始めた新しいグラブに刺しゅうしていた。マウンドにいる時、必ず目に入るようにするためだった。

勝負を決めた常盤は言った。「松坂が苦しそうだったんで、どうしても打ちたかった」。シニア時代の中学3年時には、日本選抜チームの主将を任されたほどの実力で、夏の秘密兵器だった。高校通算9本塁打のうち、8本は今年に入ってから。県大会で2本放ち、実力で背番号5をもぎ取った男がエースを助けた。

「苦しい戦いを勝ってこそ連覇が見えてくる」。松坂が言った。一番苦しい戦いを勝った。悲願まであと2――。

 

◆延長戦投球数

延長18回再試合となった1969年(昭44)第51回大会決勝、松山商(愛媛)―三沢(青森)では松山商・井上が232球、三沢・太田(元近鉄)は262球。79年第61回大会3回戦、箕島(和歌山)―星稜(石川)の延長18回では箕島・石井(元西武)が257球、星稜・堅田が、208球。91年(平3)の第73回大会3回戦では延長16回、松商学園・上田(現日本ハム)が207球、四日市工・井手元(現中日)が232球。井手元が上田にサヨナラ死球を与えて涙をのんだ。

◆松坂投球メモ

前日(19日)が148球、この日が250球で2日間で398球を投げ抜いた。前日は早くも2イニング目に最速150キロをマークしたのに、この日は5回まで143キロが最速。ところが回を追うごとに球速が増し、7回に147キロ、9回にはこの試合最速148キロを記録。延長に入ってもここぞという時には147キロ速球をピシャリと決める怪物ぶりを発揮した。この日11奪三振で春夏合わせ通算85奪三振で桑田(PL学園―巨人)の81(84年)、水野(池田―元巨人)の79(83年)を上回り、目標の「100」へあと15となった。

 

◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ。神奈川県出身。横浜高から神奈川大。選手時代は中堅手。65年に母校横浜のコーチを務め、68年に監督に就任。73年春に甲子園初出場で初優勝。夏は80年に初の全国制覇を達成した。98年は甲子園春夏連覇し、明治神宮大会、国体も制して4冠を達成。甲子園は春夏27度出場して5度優勝、歴代5位の51勝。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。

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