【復刻】渡辺元智監督の魔法…松坂がテーピング外し9回抑え呼び込んだ準決勝の逆転サヨナラ

1998年8月21日、第80回全国高校野球選手権準決勝 横浜対明徳義塾 8回裏横浜の攻撃中に登板に備えブルペンで投球練習をする横浜・松坂

高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。

高校野球界で一時代を築き、松坂大輔ら数多くプロ野球選手を育てた名将だった。選手としては横浜高で中堅手。同期には後に2人三脚で横浜を強豪にした小倉清一郎(元横浜高野球部長)がいた。自身は神奈川大に進んだが故障でプレーを断念。それでも65年に母校の野球部長に就任し、68年からは24歳の若さで監督に就いた。

指導者としてのキャリアが凄まじかった。73年には春の選抜で優勝。80年には愛甲猛を擁して夏では初の全国制覇を果たした。小倉部長とコンビを組んでからは、98年に松坂を主戦に初夏の甲子園、明治神宮大会、国体と4冠で公式戦年間無敗のチームを作り上げた。甲子園通算では春15回、夏12回の出場で5度の優勝。51勝22敗の戦績を誇った。

 

28年が経過した今でも甲子園の偉大なドラマとして語り継がれる「松阪の伝説」を当時の記事とともに振り返る。

 

【準決勝(1998年8月21日) 明徳義塾戦 7-6 9回サヨナラ】

松坂を決勝のマウンドへ―

心がつながった横浜(東神奈川)が、劇的な逆転サヨナラで明徳義塾(高知)を下した。前日(20日)、250球を投げたエース松坂大輔(3年)を温存し、0―6の劣勢を8、9回に逆襲。9回裏、後藤武敏(3年)の2点同点打で追いつき、なお2死満塁から柴武志(3年)が中前にサヨナラ打した。前日、PL学園(南大阪)と延長17回、史上に残る激闘を演じた横浜は、またもや歴史に名を刻む大逆転劇。きょう22日、京都成章(京都)との決勝で史上5校目の春夏連覇に挑む。先発マウンドにはむろん松坂が上る。

 

最後はオレが決めてみせる。松坂が春に続く大旗どりを宣言した。「勝った瞬間、また明日(22日)投げられるという喜びを感じました。マウンドは一番安心できる場所。完封します」。劇的なサヨナラ勝ちに右ひじの張りも忘れて、ひとみを輝かせた。

どうしても負けられなかった。試合前、「今日は2年生(袴塚と斎藤弘)に任せます」と話した。そこには「決勝は自分が投げるから踏ん張ってくれ」の気持ちがこもっていた。苦しい展開が続いた時もあきらめなかった。「ここで負けたらPLに申し訳ない」と心の中で誓った。

この日は左翼を守った。慣れない打球が5本飛んで来た。「ボールよ、来ないでくれ」と叫びそうになった。頭上を越える本塁打も2本、見上げた。センターの加藤に「今のは捕れないよな」と笑う余裕は失わなかった。8回、明徳6点目をたたき出す藤本の三塁打が頭の上を越えた。それでも勝つことを信じていた。

6点差を追いかける8回裏。渡辺監督から「可能性のある限り残り2回を目いっぱい楽しもうじゃないか」とゲキが飛ぶ。これを合図に4点を返した。監督はためらうことなく9回表のマウンドにエースを送った。「何が起こるか分からんから、ゼロに抑えてくれ」。三塁側ベンチの前で松坂が右腕に施したテーピングを外すと、甲子園で初めての「松坂コール」が起こる。「サヨナラ勝利を信じて無我夢中で投げた」。1死から寺本に四球を与えるが、その3球目(ファウル)は146キロ。谷口を二ゴロ併殺に仕留め、15球で味方の攻撃につないだ。「最後は松坂が出てきてチームが一つになった」(渡辺監督)。

捕手の小山が言う。「松坂が出てくるとやっぱり雰囲気が違った。あいつなら何かやってくれると信じていた」。期待にこたえるからこその大黒柱。打っても8回の2点目をたたき出し、9回は貴重な送りバントを決めた。「今日一番の仕事」と振りかえった公式戦で初のバントだった。

試合後の整列の時、相手エース寺本から「よくやったな。絶対優勝しろよ」と握手を求められた。「優勝するよ」とこたえた。いまや、横浜の優勝は自分たちだけのものではなくなった。敗れたチームの思いもその右腕にかかっている。松坂は甲子園で得た多くの友と一緒に決勝戦を戦う。

 

★横浜・渡辺監督

春夏連覇はうちにとって100年に一度あるかないかのチャンス。気持ちが強過ぎるのは良くないが、狙う姿勢は崩さずに戦いたい。京都成章は一戦一戦力をつけてきたチームで、エースも力みなく投げており、総合力を警戒する。基本に忠実に試合をしたい。

 

◆「松坂を休ませてやりたい」

柴はただひとつのことを思っていた。「松坂を休ませてやりたい。延長戦だけは絶対いやだ」。前日250球。その前が148球。もうそんなに投げさせるものか。8回、4安打を集めて4点を返し2点を追いかける9回裏。後藤のタイムリーで同点に追いついて、なおも2死満塁の打席。8回から代打出場している柴の打球は、詰まっていた。が、ハーフライナーとなって二塁手・松元の頭上に飛ぶ。

「抜けてくれ!」。松坂は叫んだ。祈りは通じる。球は松元のグラブをかすめてセンター前に転がった。三塁から松本がサヨナラのホームを踏んだ。

「一塁を回ったところで小山が(喜びの)ジャンプしてるのが見えて、サヨナラ勝ちが分かった」。柴は初のお立ち台で顔を紅潮させた。なんという粘り、なんという集中力。「松坂さんを決勝のマウンドでもう一度投げさせたい、というみんなの思いがひとつになった」。2番手で力投した2年生の斎藤弘が言った。9回表。たった15球で明徳打線を抑えたエースの気力の投球に、勇気がわいた。「半分あきらめていた」。サヨナラのヒーロー柴は正直に胸の内を明かした。前日、決勝2ランの常盤は「負けると思っていた。信じられない」。しかし、ここまで横浜を引っ張ってきたエースをこのままで終わらせたくない。ひとつにまとまった仲間たちが、奇跡を生んだ。

左打者の柴は、ずっとスタメンを外されていた。1回戦の柳ケ浦(大分)。先発は左の大崎。結果は一塁へのバントヒット1本に終わった。2回戦の鹿児島実(鹿児島)もノーヒッター左腕の杉内が先発。スタメンを外され代打で見逃し三振。準々決勝のPL学園戦も7回の守りからの出場。この打席に悔しさのすべてをかけていた。「気持ちが打たせてくれたんでしょう」。寝静まった合宿所で、黙々とバットを振り続けた柴の努力を知る渡辺元智監督(53)のひとみが潤んでいた。

同点打を放ったのは今大会この試合まで15打数1安打と絶不調の後藤。県大会では松坂から4番を奪取。25打数16安打、22打点、3本塁打と大当たり。しかし県大会で痛めた腰を、初戦の柳ケ浦戦でヘッドスライディングした際に悪化させた。「骨盤が2、3センチずれているんです」と苦しみもがく毎日。父成男さん(46)は「泣き言なんか言ったことのない子が電話で苦しい、苦しいと言ってきてつらかった」。この日も痛み止めの注射を打ち「優勝のためには腰が砕けてもいい」と悲壮な決意で臨んでいた。

後藤は、松坂がマウンドに上った時、今年1月に亡くなった曾祖母(そうそぼ)らいさん(享年96)の遺骨の入ったお守りを渡し、「勝つぞ。頑張ってくれ」と激励した。逆に松坂はその裏、打席に入る後藤に「楽に打てよ」とお守りを返した。「絶対ランナーをかえすからな」と答えた後藤は約束通りの同点打。

「信じられない。野球人生において考えもしなかったことが2日連続で起こった」。5回が終了し、ベンチ裏で「おまえら、勝つ気があるのか」とゲキを飛ばした渡辺監督もナインの粘りに驚き、感動した。

悲願の春夏連覇へあと1。最後の甲子園マウンドに立つ松坂も、2日続きで激戦をものにした仲間も、見据えるものはただひとつだけ―。

 

◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ。神奈川県出身。横浜高から神奈川大。選手時代は中堅手。65年に母校横浜のコーチを務め、68年に監督に就任。73年春に甲子園初出場で初優勝。夏は80年に初の全国制覇を達成した。98年は甲子園春夏連覇し、明治神宮大会、国体も制して4冠を達成。甲子園は春夏27度出場して5度優勝、歴代5位の51勝。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。

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