横浜(神奈川)で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算51勝を挙げた渡辺元智(わたなべ・もとのり)さんが死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。
松坂大輔を擁して98年に春夏連覇を果たすなど、小倉清一郎部長(当時)と二人三脚で一時代を築いた。
小倉氏がコーチだった14年、退任することが決まっていた最後の夏を前に、渡辺さんが語ったこととは。
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小倉氏が横浜で過ごす最後の夏だった14年。盟友の退任を受け、渡辺さんは「小倉の有終の美を飾りたいよね」と甲子園出場を強く意識した。
輝かしい成績を残し、高校野球の一時代を築いた名コンビ。関係を築くまでには、壁もあった。
小倉氏は77年に1度横浜でコーチになったが、部内事情で2年たたずに離れた。その後、両者は横浜の監督と横浜商のコーチとしてライバル関係にあり、再びタッグを組んだのは90年秋。渡辺さんが声を掛けた。
「本当の黄金時代を築きたかった。1人でまとめるには限界もあったし、野球に関しては小倉にはかなわないと思っていたから」
緻密に戦術を伝授する小倉氏と「人生の勝利者となれ」と人間野球を教える渡辺さん。横浜の“最強同期生タッグ”が誕生した。
その後も大きな衝突が2度ほどあった。中でも、93年夏に戦術面で食い違いがあった際の亀裂は大きかった。だが小倉氏は横浜で生きることを選んだ。「また一からってのも嫌だったし。横浜を強くしたかったんだろうな」と振りかえった。それから5年後、松坂大輔らを擁し、甲子園春夏連覇を達成した。
小倉氏はかつて語っていた。「俺が監督みたいなもんで、好き勝手にやらしてくれてるから一緒にやれている。でも、女房の手に踊らされるのと一緒で、渡辺の手に踊らされてるって思われても仕方ないかな。それは感謝してますよ」。
時にライバルだった渡辺さんは最大の理解者でもあった。2人で歩んだ26年は、横浜の輝かしい歴史そのものだった。
◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ。神奈川県出身。横浜高から神奈川大。選手時代は中堅手。65年に母校横浜のコーチを務め、68年に監督に就任。73年春に甲子園初出場で初優勝。夏は80年に初の全国制覇を達成した。98年は甲子園春夏連覇し、明治神宮大会、国体も制して4冠を達成。甲子園は春夏27度出場して5度優勝、歴代5位の51勝。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。
◆小倉清一郎(おぐら・きよいちろう) 1944年(昭19)6月16日生まれ。横浜市出身。横浜-東農大を経て三菱自動車などで活躍。引退後は東海大一(現東海大翔洋=静岡)の監督を4年間務め、77年に横浜コーチに就任。翌年に横浜商に移り、83年の春夏連続甲子園準優勝に貢献した。横浜部長には92年就任。10年からコーチを務め14年に勇退した。98年の春夏連覇など甲子園優勝3回。