高校野球の一時代を築いた名将が、突然の別れを告げた。横浜(神奈川)で甲子園春夏5度の優勝を誇り、歴代5位の通算51勝を挙げた渡辺元智(わたなべ・もとのり)さんが17日、死去した。81歳だった。2015年に監督勇退後も後進の育成に尽力しながら、村田浩明監督(40)率いる母校の活躍を見守っていた。第108回全国高校野球選手権大会準々決勝は18日に4試合が行われ、横浜は第3試合で花巻東(岩手)と対戦する。
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夏の甲子園大会期間中に、突然の訃報(ふほう)だった。「平成の怪物」松坂大輔氏らを育てた横浜元監督の渡辺元智さんが、81歳でこの世を去った。横浜OB、ライバル校の指導者、そして高校野球ファンに大きな衝撃をもたらした。
準々決勝の花巻東戦を翌日に控えたこの日、村田監督率いる横浜は大阪市内のグラウンドで最終調整。練習前にグラウンドで集まり、ホームベースへ向き直り数分間の黙とうをささげた。村田監督は「今はお話できない」と話すにとどめた。
渡辺さんは横浜で中堅手を務め、同期には後に二人三脚で横浜を強豪にした小倉清一郎さん(元横浜高野球部長)がいた。神奈川大に進んだが故障でプレーを断念し、65年に母校のコーチに就任。68年に24歳の若さで監督に就き、そこから一気に駆け上がった。
73年には春の選抜で優勝。80年には愛甲猛を擁して夏では初の全国制覇を果たした。小倉部長とコンビを組んでからは、98年に松坂を主戦に春夏の甲子園、明治神宮大会、国体と4冠で公式戦年間無敗のチームを作り上げた。甲子園通算は春15度、夏12度出場で歴代3位の5度優勝(春3、夏2)、同5位の51勝(22敗)を誇る。
15年に監督を勇退し、総監督になった後も、解説者や高野連アドバイザーとして精力的に高校野球と関わった。「野球を通じて子供を育てる」をモットーに、半世紀近い監督生活でプロアマ問わず数多くの選手を送り出した。
グラウンドを離れても、愛する母校と球児たちを気に掛けた。自家用車を自ら運転し、つえを突いてグラウンドを頻繁に訪れた。ベンチに座り、ミーティングを開き、選手たちに教え続けた。今夏も神奈川大会準決勝に姿を見せ、157キロをたたきだしたエース織田翔希投手(3年)を「高校時代の松坂と比べると、織田の方がいいんじゃないかな」と高く評価。周囲には「決勝まで勝ち上がったら甲子園に行こうかな」と話していた。願いはかなうことなく天国へと旅立った。