高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。
21年夏まで東海大相模の監督を務め、渡辺監督率いる横浜としのぎを削った創志学園(岡山)の門馬敬治監督(56)は、「言葉が見つからない。どう話をしていいのかがわからない…。ずっといてくれると思っていた人だったから」と、言葉をのんだ。
東海大相模の監督に就任した時から、いつも横浜は“宿敵”だった。「いつも『打倒横浜』だった。そして、渡辺監督を目指し、超えたいと思っていた。その一心が、当時の自分を支えていたし。その毎日しかなかった」と、若き日を振り返った。以後、横浜と東海大相模は、神奈川を代表する強豪校として、数々の名勝負を生んだ。
渡辺監督は15年夏の大会をもって監督退任を発表。神奈川大会決勝戦も東海大相模との対戦だった。結果は東海大相模が優勝し甲子園出場を果たしたが、試合後、門馬監督は横浜のロッカーにあいさつに訪ねた。「『相模の野球だけじゃないんだぞ。神奈川の野球を頼むぞ』と、言ってくださった。あの言葉は一生忘れることはできないし、神奈川の野球を作られた1人の監督さんでした」。お互いにまだユニホームを着たまま。野球人として受け取った言葉だった。
渡辺監督に追いつけ追い越せと、甲子園を目指した。「かなえられたかどうか…多分かなえてない。道半ばなんだと思うんですよ。だけど、目指してきたものには変わりはないし。それがもう僕の全てですよね。ここまで強く思い続けた人もいないし。ものすごく強くて大きな存在でした」。渡辺監督は、これからも、甲子園を目指す門馬氏の心の中で生き続ける。