【甲子園】「泣きながら甲子園1周せい!」智弁和歌山・松本虎太郎 中谷監督の愛の指令果たした

健大高崎対智弁和歌山 優勝を決め歓喜の輪をつくる松本虎太郎(右から2人目)ら智弁和歌山ナイン(撮影・垰建太)

<全国高校野球選手権:智弁和歌山4-3健大高崎>◇22日◇決勝◇甲子園

智弁和歌山(和歌山)が健大高崎(群馬)を4-3で破り5年ぶり4度目の日本一に輝いた。

涙が止まらなかった。智弁和歌山の主将、松本虎太郎内野手(3年)はこみ上げる感情を抑えきれなかった。「今までの日々を思い出して、いろんな感情がよみがえって…。本当にここまでやり続けてきてよかった」。和歌山大会開幕前、中谷監督から「泣きながら甲子園を1周せい!」とゲキを飛ばされていた。約束を果たし、深紅の大優勝旗を持って堂々と行進した。

最後の夏を目前に控えた6月初旬、腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアを発症。足がしびれて、歩くのもきつかった。チームの勝利を最優先し、自ら「ベンチから外してほしい」と申し出た。それを聞いた中谷監督は「おまえ抜きでも(和歌山を)勝ち切って、甲子園の優勝旗をお前が持つんだ!」と鼓舞。心を震わせた松本は6月末に手術に踏み切り、驚異の回復力で和歌山大会準決勝で代打で復帰した。甲子園ではDHで3試合に先発。そしてこの日の決勝は2-3の8回無死一、二塁に代打で出場し、しっかり犠打を決めた。、その後の同点スクイズへの大きな流れを作った。中谷監督は「松本のバントで逆転まで見えた。本当に魂のこもった素晴らしいバントでした。誰よりも練習をして、背中で引っ張るキャプテンです」とMVPに挙げた。

1年夏から甲子園でスタメンを張るなど主軸として活躍し、日本一を目指すチームの主将を託された。だが今春は結果を出せず、引っ張る資格はないと落ち込んだ。「もうキャプテンをやめたいです」。中谷監督に相談したが、この時も同じように強く励まされた。「一番智弁愛が強く入ってきたのは虎太郎や。あと3、4カ月死に物狂いでやるしかないから頑張れ!」。

号泣のヒーローインタビューを終えると、ベンチで待っていた監督から優しい笑顔で「ここまで頑張ってよかったな、やってきてよかったな」とねぎらわれた。「しんどい道と楽な道があった時に、常にしんどい道を選び続けられる人間になれ」。監督からの金言通り、しんどい道を選んだ先にあったのは、まばゆい景色だった。【佐藤妙月】

◆松本虎太郎(まつもと・こたろう)2008年(平20)4月26日生まれ、奈良県出身。小2から田原本南リトルヤンキースで投手・捕手として野球を始め、小5で全国大会ベスト8。田原本中では橿原磯城リトルシニアで投手、内野手、外野手を務め、春夏全国大会ベスト8。智弁和歌山では1年夏の甲子園で二塁手、2年春夏の甲子園は三塁手としてベンチ入り。趣味は音楽鑑賞。好きな言葉は「知恩報恩」。遠投100メートル。50メートル走6秒3。173センチ、82キロ。右投げ右打ち。

◆背番号10の主将 智弁和歌山・松本主将の背番号は10。甲子園で背番号を採用した52年夏以降、優勝チームの主将が2桁背番号だったのは01年夏の杉山智広(日大三=12番)、22年夏の佐藤悠斗(仙台育英=13番)に次いで春夏を通じ3人目。10番は初めて。

∇智弁和歌山・久葉(8回2死二塁のピンチから登板し、優勝投手に)「今までとは違う多少の緊張感はありました。いつもとやることを変えずにやった結果が0点につながった。(勝利投手の)喜びより、チームメートに感謝したい気持ちが強いです」

∇智弁和歌山・山田(8回スクイズの場面で三塁走者として本塁生還)「どこでもいいから転がしてくれと。同点になった瞬間は心臓が飛び出るぐらいうれしかった。監督に最高の恩返しができました。(今後は)4年間大学でやって、ドラフト1位でプロに行けるようにやりたい」

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