<夏の甲子園:書ききれなかった話>
第108回全国高校野球選手権大会は、智弁和歌山の5年ぶり4度目の優勝で幕を閉じた。49代表が甲子園で連日熱闘を展開し、現場記者も精力的な取材を行った。「書ききれなかった話」も数多くあり、心に残った話題をお届けします。
◇ ◇ ◇
高校野球取材のやりがいは、選手たちの成長を定点観測できることだと思う。入学して2年半の月日が流れると、まるで別人のように変わる。今夏準優勝した健大高崎(群馬)主将の石田雄星外野手(3年)の変貌(へんぼう)を間近で見られたことが、自分事のようにうれしかった。
下級生の頃は精神的に未熟だった。健大高崎が甲子園に出場した昨夏。兵庫・西宮市の鳴尾浜臨海野球場へ取材に行くと、ポツンと1人でストレッチを繰り返す石田雄がいた。他の選手たちは既にグラウンドで体を動かしていたのに、隣の原っぱに居残り、「おかわり」を課されていた。汗が吹き出るような炎天下で、地味なメニューをこなすのはつらい。塚原謙太郎トレーナーの下に終了を告げに来た時の石田雄の顔には、いら立ちがはっきりと見えた。納得がいかないのか「チッ」と小さく舌打ちを吐いたようにも聞こえた。チームは4日後に行われた初戦の京都国際戦で敗れ、早々と甲子園を去った。
昨夏見た「舌打ち事件」が、ずっと頭にあった。新チームとなった昨秋に健大高崎を訪れた際に、本人へぶつけると恥ずかしそうにしながら打ち明けた。
「自分はけがをしやすい体なので、ストレッチを重点的にやらせてもらっていた。当時は『なんで俺だけこんなことをやらされるんだろう』と思っちゃって。塚原さんに呼ばれて『新チームになったら、お前がチーム全体をいい方向に導かなきゃ絶対勝てない』と言ってもらって、すごく心に響きました。当時は本当に子供だったなと反省しています」。自分の非を潔く認めることは誰だって難しい。大人ですら、できない人もいる。もしも記者自身が石田雄の立場だったら…。
昨秋の群馬大会準々決勝敗退から「谷間の世代」と言われ、主将としてどうやったら勝てるのかと悩み続けた。6月には右手有鉤(ゆうこう)骨骨折で1カ月離脱も余儀なくされた。思ったようにはいかないことも多かったが、甲子園で久々に再会した際、一回りも二回りも大きく成長した姿がそこにはあった。【平山連】