レッドソックス松坂大輔 おめでた世界一/復刻

2007年10月30日付1面

<日刊スポーツ:2007年10月30日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月30日付紙面を振り返ります。2007年の東京版1面は「松坂 おめでた世界一」でした。

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<Wシリーズ:ロッキーズ3-4レッドソックス>◇第4戦◇10月28日(日本時間同29日)◇クアーズフィールド

 ダイスケが、世界の頂点に立った−。レッドソックス松坂大輔投手(27)が、メジャー1年目で世界一の座に就いた。レ軍の3連勝で迎えたワールドシリーズ第4戦。松井稼頭央内野手(32)所属のロッキーズに4−3と競り勝ち、無傷で3年ぶり7度目の世界制覇を遂げた。横浜高時代の甲子園春夏連覇、西武時代の日本一、WBCの初代王者に続き、メジャーの舞台でも王者となった。来年3月には第2子が誕生する予定で、この日は家族全体で喜びを分かち合った。

 アルコールを体中に浴びた松坂の目は、赤く潤んでいた。シャンパンがしみただけではないだろう。かすれた声は震えていた。

 「大変な1年でした。苦しいと思ったことはありましたが、最後まで長く野球ができて良かったです。最後に勝者になれて、もう言うことはありません」。

 長い、長い1年の風景が胸に去来した。レッドソックスが1億ドルを投入して飛び込んだ世界。安易に結果を出せなかった。思い通りにボールを握れなかった。硬質のマウンドで日本と同じフォームを用いれば故障につながる。日本時代の松坂から脱却するには想像以上に長い時間を要した。

 春先から満足のいく投げ込みが許されなかった。球数制限は公式戦に入ってからも大きな悩みの種だった。日本時代に敷かれていたレールは、ここにはない。「マツザカにプレーオフで投げる資格はない」。公式戦終盤、勝てない日々が続くとボストンの報道もこぞって厳しい記事を並べた。

 「2月のフロリダから始まって、ここまでたどり着けて良かったです」。

 優勝が決定し、グラウンドで誰彼となく抱き合った直後の第一声は、実に8カ月前までにさかのぼった。

 松坂 9月28日のリーグ優勝の翌日、1人シャワーをしながら、ふとフロリダでキャンプインした日を思い出したんです。あっちを見てもこっちを見ても、誰と何を話していいのか分からない。でも、こうして勝つたびにみんなと抱き合い、喜び合える。これは2月当初と比べても、すごく大きな進歩ですよね。

 技術的な修正に苦心しながらも、野球の原点を押し曲げることはしなかった。「one for all,all for one」。18歳。横浜高校3年時に掲げた戦うテーマは、ここ米国でも実践した。

 松坂 日本人でもどこの国の人でも野球をすることに違いはない。野球は1人でできるものではない。

 好プレーで助けてくれた選手とは必ずハイタッチを交わした。途中降板の際も、自分が招いたピンチを背負う投手がマウンドに来るまで、1歩も動かなかった。直接「sorry」を自分の口から伝えたかった。

 「大輔は常に責任を背負っている。素直で同僚思い、信頼できる男」。フランコナ監督は、米国にない習慣、やさしさをグラウンドで振りまく松坂をしきりにたたえた。「レ軍に同化しようとする男は、必ず力になる」。同監督は不調でもローテーションから外すことを考えなかった。

 最高のフィナーレは感極まった。シリングがパペルボンが、強く、熱く、何度も松坂を抱き締めた。

 「僕の達成感は微々たるもの。僕はまだ1年。みんなは本当の苦しみを乗り越えた。重みが違います」。

 松坂とナインの感動の質は違うだろう。苦しみ抜いた1年。来年は同僚たちを強く抱き締める存在でありたい。巨岩を動かそうともがいた松坂は、また1つ大きくなった。

 感動の世界一の裏で、松坂家にはもう1つのおめでたい出来事があった。倫世夫人(32)が来年3月に第2子を出産する。シャンパンファイトを終え、喜びに浸った松坂は「たった今、妻と相談したのですが、この機会なので発表させていただきます」と、担当記者の前で声を張り上げた。「おそらくアメリカで出産することになると思います」。1歳10カ月の長女に続き2人の父親になる松坂の表情がまた、一層輝いた。

 倫世夫人も「ワールドシリーズが始まる頃から胎動が始まりました。今もポンポンとおなかをたたいています」と、松坂の顔を見上げて笑みを浮かべた。大黒柱の雄姿には涙も浮かべた。「まだ夢の中にいるようです。家ではつらいところは見せませんでしたが、何もかもが初めてで本当に苦しかったとも思います。尊敬しています。すごい人だと思います」。2児の父となる松坂は「責任には今までと変わりません。僕はいつも家族に責任を持っていますから」と胸を張った。

※記録や表記は当時のもの