「ほぼ、いきかけました」イチロー語録集

96年9月、リーグ優勝を決めるサヨナラ安打を放ちガッツポーズのイチロー

 米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(44)が本拠地セーフコフィールドで会見を行い、今季の残り試合に出場せず球団の会長付特別補佐に就任すると明かした。

【イチローの言葉・オリックス時代】

 「ヒットはスライダーです。少し詰まりましたけど…。やっぱりうれしかったですよ」(92年7月12日=ダイエー戦でプロ初スタメンで初安打)

 「イチローって、ヘンな感じですよねえ…。こりゃ困りましたね」(94年3月28日=仰木監督が登録名「イチロー」に変更する意向を示し)

 「新記録なんて信じられないけれど、6打席で1本は悔しい」(94年9月14日=シーズン最多安打の日本プロ野球新記録を達成)

 「打率はどうでもいい。安打数を求めるのは精神的に苦しむのが嫌だから」(94年9月20日=シーズン200安打を達成。次の目標を質問され)

 「大変よくできました」(94年10月9日=打率3割8分5厘、通算210安打で全日程を終了。張本のパ・リーグ記録を上回り)

 「セーターを買います。似合いそうなの。それに(両親に)おいしいものを食べさせてあげたい」(94年12月16日=契約更改で日本球界史上最高の900%アップ)

 「野球で一生懸命やって少しでも明るい話題を提供できれば」(95年1月23日=阪神・淡路大震災の被災者に義援金を送り)

 「震災で傷ついた人に真っ先に伝えたい」(95年9月19日=リーグ優勝)

 「僕も本職じゃないですから。気持ちいいのと悪いのといろいろです」(96年7月21日=球宴第2戦で登板も、代打を出され巨人松井との対戦が実現せず)

 「自然とガッツポーズが出ました。22年間生きてきましたけども、初めてです。最高というものを通り越したものです」(96年9月23日=地元神戸で2年連続のリーグ優勝)

 「やはり、まだ、日本のプロ野球というのは巨人中心だと思います。内容が伴ってのことなら、それもいいでしょうけど、もしも伝統とか名前とかだけでそうなってるのなら、それはどうかなと思います」(96年10月18日=巨人との日本シリーズ前日、巨人へのライバル心をのぞかせ)

 「これからが大変。勝ち続けることで生まれる壁がある。それを乗り越えるのが大変だと思います」(96年10月24日=巨人を破って初めての日本一に)

 「楽しめたということはない。苦しかった。ただ、こういう状況の中で野球をやることができてうれしかった」(95年10月26日=ヤクルトとの日本シリーズに敗れ)

 「人から言われるし、おはらいをしないといけないかなあと思っていますよ」(96年12月31日=V旅行のハワイから帰国し、翌97年の年男に向けて)

 「年俸が10倍になっても、1万円を1000円の感覚で使えるわけじゃない」(97年1月2日=正月企画「私とお金」で金銭感覚を披露)

 「安打で飾れなかったけど期待にこたえられて満足です。でもこんな数字、最初に数えだした人の方が偉いんじゃないの?」(97年6月24日=日本ハム戦で連続打席無三振を209とし、78年に阪神藤田平がつくった208打席の日本記録を更新)

 「怒った? それで普通でしょ! (球を)当てられたら痛いよ! (死球を)やってくるところ(チーム)は一緒だし」(97年7月17日=近鉄戦で2夜連続で死球を受け、めったに感情を表に出さないイチローがマウンドの西川に「ウワァーッ!」と絶叫)

 「数字のことだけでどうこう言われたくないけど、(4年連続は)なかなかできないことだとは思います。素直にうれしい」(97年10月12日=プロ野球史上2人目の4年連続首位打者)

 「メジャー? そんな話もしました。雑談程度ですけどね。もちろん夢はないことはないですから。今後も機会があれば話をしていきたい」(98年1月23日=3億2000万円で契約を更改して史上最年少の3億円プレーヤーになり、契約更改の席では初めてメジャー移籍の希望を球団に伝えた)

 「満塁弾は特別? まあね」(98年5月8日=近鉄戦で、プロ7年目で6本目となる満塁本塁打を放ち、巨人王らと並ぶプロ野球史上5人目の快記録を樹立)

 「特に感想はないです。納税額は最高でも自分の価値とは必ずしも比例しないと思う。ただ、それにふさわしい選手になっていきたい」(98年5月18日=納税額2億4229万円で国内スポーツ界の頂点に)

 「パ・リーグのチームにありながら、そういう状況をつくれたことはうれしいですね」(98年7月13日=プロ野球過去史上タイとなる4年連続最多得票での球宴出場)

 「行くなら思い切って、中途半端にならないようにした。走塁は判断が難しいけれども、成功するには(判断、走力など)すべてなくてはいけない。そういうのが決まったのは気持ちいいですね」(98年8月29日=近鉄戦でプロ7年目にして初の本盗)

 「今年は特に前半戦、チームが不調の中、気持ちが切れずに自分の力を出せたことが良かったと思います」(98年10月12日=史上初の5年連続首位打者と自身5度目の最多安打のタイトル確定)

 「自分の中で候補に挙げている球団はいくつかありますよ。シアトルとか。野球以外でリラックスできる環境のある街がいいですね」(98年11月10日=日米野球参戦中に米誌のインタビューに答え、移籍希望球団がマリナーズであることを初めて明かす)

 「特に新しく思うことはありません。また来年、自分の能力を高いところで出すことを目標にしてやりたいです」(98年12月16日=球界史上初の5億円プレーヤーに)

 「日本のどの練習よりもきつかった。けど、違うスタイルの野球に触れるのだから、得るものはたくさんあるはずです。2週間はあっという間ですね」(99年2月24日=米国ピオリアでのマリナーズの春季キャンプに留学参加し、初日はケン・グリフィーJrとのキャッチボールなどでおおはしゃぎ)

 「(最速は)どんな感じと言われても…。速いですね。この一瞬を楽しみにしている人に喜んでもらったら、それで良かったと思います」(99年4月20日=日本ハム戦で、プロ野球史上最速ペースの757試合目で通算1000本安打を達成)

 「(記録は)知らないですけど」(99年5月22日=ダイエー戦でパ・リーグ初の5年連続満塁アーチ)

 「タイトルを獲得したことに特に感想はないけど、悲しいことではない。3割4分3厘という数字は決して恥ずかしいものではないと思う」(99年10月12日=6年連続首位打者確定)

 「ひかれたのは、相性が合うこと。話すリズム、価値観。同じ空間が心地よく感じた。幸せにできるかどうかは分かりませんが、なれるよう努力します」(99年12月5日=弓子夫人を伴い、神戸市内で結婚会見を実施)

 「パジャマにでも使ってください」(99年12月22日=首相官邸を訪れ、小渕恵三首相に結婚の祝電の返礼としてサイン入りユニホームを贈った)

【イチローの言葉・メジャー時代】

 「やっぱりいいものだなあ、と思った。何年かたってから思い出すでしょうね」(03年7月15日=球宴でヤンキース松井と右中間コンビを組み)

 「メンタル面がどれだけ肉体に影響するかを、すごく感じました。こういう苦しみはプロになってからはないです」(03年9月20日=56年ぶり史上3人目の新人から3シーズン連続の200安打)

 「今日のことは日付が変わった時で終わりで、この時点で過去のこと。次は、あくまでも2002本目としか言えません」(04年5月21日=日米通算2000安打)

 「やはり小さいことを重ねるのがとんでもないところに行くただ1つの道と思う」(04年10月1日=シスラーの年間最多安打を84年ぶりに塗りかえ)

 「プレーを続けている間はもらう立場ではないと思う。途中で国家から表彰を受けるとなると、モチベーションが下がり、ピークが終わったのではないかと受け取られると、ファンの方々にも申し訳ない」(04年11月8日=2度目の国民栄誉賞辞退。代理人を通じ首相官邸にコメントを伝え)

 「倍ぐらいの失敗を重ねないと生まれない。それが打撃ですから。そうやって奥深いものになってくれればいいですね。失敗を繰り返すことが」(05年6月14日=メジャー通算1000安打)

 「ボクの野球人生でもっとも屈辱的な日ですね」(06年3月15日=第1回WBC2次リーグ最終戦で韓国に惜敗し)

 「今日、負けるのは日本のプロ野球の汚点になるところだった。野球というのは、けんかではないですけど、そんな気持ちだった」(06年3月18日=WBC準決勝で韓国に勝利)

 「日本のプロ野球の結果が気になるかもしれない。仲間ができたから」(06年3月20日=キューバを破りWBC初代王者に)

 「平均年俸が500万円だとしたら弥生時代からプレーしないと達成できない数字なので、その評価ってすごいと思うんですよ」(07年7月13日=5年9000万ドルで契約を延長)

 「92年に初安打を打って、ここまでは別に長いとは思わなかった。ただ、この1週間はすごく長いと感じました」(08年7月29日=日米通算3000安打)

 「気持ちよかったです。ほぼ(エクスタシーに)いきかけました」(09年3月23日=韓国を破りWBC連覇を達成)

 「自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降、僕がいるべきではない、ということでした。そして僕自身も環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えました。そうであるならば、出来るだけ早くチームを去ることがチームにとっても僕にとっても良いことなのでは、という決断でした」(12年7月23日=マリナーズからヤンキースに電撃移籍)

 「今日から162試合やれと言われても、僕にはできる」(14年9月28日=ヤンキース全日程終了。FAをへての来季現役続行に意欲)

 「これからも、応援よろしくお願いします…とは僕は絶対言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていく。ということをお約束します」「(契約がなかなか決まらず)犬の気持ちは聞いたことがないけど、ペットショップで並んでいるかわいい子たちがどんどん売れていって、ちょっと大きく成長した犬は残っていく、みたいな状態ですかね。それでも飼ってくれる人がいたら、忠誠を尽くすと。そんな感じでしょうか」(15年1月29日=マーリンズ入団会見)

 「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある。これからもそれをクリアしていきたいという思いはあります」(16年6月15日=日米通算4257安打に到達。ピート・ローズの通算4256安打抜く)

 「3000という数字よりも、僕が何かをすることで他人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なものだということを再認識した瞬間でした」(16年8月7日=史上30人目のメジャー通算3000安打。マーリンズ選手たちが三塁に駆け寄って祝福)

 「抽象的な表現ですが、おかしなことはできないと思いますね。王監督の記録とか王監督と何かを比べてもらえることで、そういう感情が僕の中で生まれる」(17年9月6日=日米通算で王貞治の通算5862塁打を抜き5863塁打を記録)

 「おそらく、だれよりも僕が期待している。もちろん、自信はあります。それがなければ、この場にいない」(00年11月19日=マリナーズの入団会見で)

 「一生忘れられない日になるでしょう」(01年4月2日=メジャー開幕戦で初安打) 

「僕はイチローであることを変えられないので、イチローのプレーをするだけです」(01年7月2日=地元開催の球宴ファン投票で最多得票を獲得)