秋山翔吾背水の覚悟、亡き父は小学時にメジャー意識/インタビュー

メジャー移籍について語ったレッズ秋山(撮影・横山健太)

レッズへ移籍した秋山翔吾外野手(31)が、背水の覚悟で海を渡る。12日、成田空港から米国へ出発した。渡米前、インタビューに応じ、移籍までの心境の変化を明かした。大きな節目となったのは17年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝・米国戦での3打席。さらに西武での9年間、期待値という名の“バケツ”に水をくみ続けた葛藤と、亡き父との秘話を語った。メジャー各地でキャンプが始まり、いよいよ20年シーズンが幕を開ける。【取材・構成=栗田成芳】

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今振り返ると、転機は3年前に訪れていた。17年WBC。秋山は侍ジャパンのメンバーとして世界一に挑んだ。準決勝米国戦に8番中堅で先発。相手先発はロアーク(当時ナショナルズ、現ブルージェイズ)。ツーシーム主体の「動く球」を操るタイプだった。

秋山 完全にツーシーム主体の投手だった。で、もちろん映像を見て、対策していた。日本が全体的にツーシーム系の球に悩んでると思われて、ああいう投手が(先発で)来たんだと思う。その中で8番だから前の打者で傾向をみて、自分の中で対策を持って打席立って、ピッチャーライナーをパンっと打った。アウトだったけど「あ、これちょっといいんじゃね」って。

東京から米ロサンゼルスのドジャースタジアムに舞台を移しての試合。3回先頭で迎えた第1打席だった。思い描いたツーシーム対策がはまって捉えた感触は、今も忘れていなかった。

秋山 要は、みんなが苦戦しているツーシームにきっちりアジャストできたこと。メジャーでは初対戦ばかり。立ち遅れちゃいけない。そういう意味で、あの打席でアジャストできたことは、今思うと大きい。自分が立てた相手投手の球の仮説とかイメージを、打撃として表現できた打席だった。でも課題も見つけた。

1点を追う5回の第2打席は、158キロの速球に詰まりながらも中堅最深部へ。中飛だったが、剛球投手にも対応した好感触を得た。そして1-1のまま突入した7回2死走者なしの第3打席。4番手ダイソン(当時レンジャーズ、現ツインズFA)は、再び動く球を操るゴロピッチャーだった。ボール先行のカウント2-1。下位打線での四球を避けたい投手心理を読んだ秋山は打ちにいった。

秋山 真ん中らへん、真っすぐって思った。僕は1発がある体形じゃないし。打ちにいったら(シンカーを)物の見事にセカンドゴロ。フォーシームでカウントを取りに来ないんだなって。こういう対策をしちゃいけないというのも見えた。ただあの時は、メジャーなんて全然思っていなかった。でもあの試合で自分の思った打撃の感じ方が良くなかったら、ここまで(メジャーへの思いは)加速していなかったと思う。

西武での9年間。毎年のように、期待値という名の“バケツ”に、たくさんの水をくみ続けた。3年目からレギュラー定着。通算打率は3割1厘、首位打者1回、最多安打4回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞6回…。数々のタイトルを獲得してきた。

秋山 (手で大きく描くようにして)これくらいの期待という大きなバケツの中に1本のヒットとか、プレーという水を入れている感じ。シーズン終わっていっぱいになれば、やっと秋山翔吾が完成する。あふれてこぼれると、想像以上にやった、となる。でも足りなかった時のことを思うと、もう怖さしかない。最低ラインここだけは、っていうのを思いながらやっていた。新たなチャレンジで30本打てるようなりたいって練習して、打率2割6分で認めてもらえます? 30本、2割6分で、ウチのチームいります? そう思わせてくれたのは、チームの能力ある選手たちでした。

安定感抜群の「打って、守って、走れる」リードオフマン。同時に高まる「活躍して当たり前」という期待。打ち続ける難しさを乗り越え結果を残してきた。

秋山 1番に入っていて大丈夫な打線。チームのためって言いながら、求められることに特化すればよかった。だからこそ、チャレンジして、いびつな器の形にする必要はなかった。自分の役割、こうやって生きていくっていうのがあるから変えもしない。高水準で保つことがどれだけ難しいかってことも、分かっていたから。

同じ形のバケツに水を入れながら、次第に意識し始めたメジャー。昨年8月に海外FA権を取得し複数年契約を終える19年オフ。31歳という年齢とタイミングが合致した。日本人選手が30球団で唯一メジャー出場したことがないレッズへ、3年2100万ドル(約23億円)で移籍が決まった。

秋山 メジャーではバケツを埋めていくんじゃない。新しく形をつくる。秋山って像がないから。日本の実績は関係ない。日本での実績が評価されるのは契約まで。入った以上はメジャーでどういう対応ができるか、どういうスタイルになるのか、何も分からないルーキーと同じ。ドラフト指名された選手と同じ。でも22歳じゃない。今年32歳。形をつくりながら、試合に出て水を入れていかないといけない。

心境は文字通り背水の覚悟だ。

秋山 1年目にできなかったら2、3年目に結果が出るとは思えない。慣れるから成績が出るとは思わない。1年目に結果が出なければ終わり。結果を残してなんぼ。僕にはもう、後がないんです。

メジャー挑戦には言葉の壁もある。西武時代から外国人選手と英語でコミュニケーションをとるタイプだった。実は小学校時代、英会話教室に通っていた。小学6年のとき亡くした父肇さんのススメだったという。野球を教え、左打ちにしたのも父だった。

秋山 本当にメジャーまで考えていたらしいです。中学英語に慣れるためとかではなく。いかれたおやじですよ(笑い)。でもそのおかげで英語を嫌いにならないまま来た。これが一番大きい。なるべく自分から話していこうと思う。しゃべっていこうという意欲はある。フライボール革命と言われている中、似つかわしくない人間が行こうとしている。それを評価してくれたレッズ。やってやろうという気持ちです。

1月にお墓参りで父に報告した。肇さんがつけた翔吾という名の由来は「吾(われ)は翔(はばたく)」。その名の通り、世界ではばたく。

○…秋山はメジャーでも社会貢献活動に意欲をみせた。西武時代は15年からひとり親家族を本拠地での試合に招待し、交流を続けていた。今年1月に契約のため渡米した際に、その意思をレ軍側に伝えたという。「例えばひとり親とか。日本人コミュニティーの方が球場に来るきっかけをつくるとか、やり方はいっぱいある。日本人だからこそ出来ることをやりたい」と話した。

○…バットの形状は、現時点では変更せずに臨む。契約するSSK社の長さ33・5インチ、重さ895~900グラムの西武時代と同タイプを持ち込む予定。秋山は「道具が変わったら、何が理由で対応できているのか、できていないのか分からなくなってしまう。変化に臆病になる必要はないけど、とりあえず変えないでいこうと思う。高品質の道具を使わせてもらいます」と、同社に全幅の信頼を寄せた。