【壁とは】レッズ秋山「準備だけは怠らず」小泉進次郎氏「納得いく失敗を」

対談する小泉進次郎氏(右)とレッズ秋山(撮影・菅敏)

昨年12月に行われた小泉進次郎衆議院議員(40)と、米大リーグ・レッズ秋山翔吾外野手(33)による2度目の“横須賀会談”。環境大臣から一国会議員に戻った進次郎氏と、メジャー2年目の昨シーズンはふがいない結果に終わった秋山。神奈川・横須賀市出身の2人が語り合った全文を、3回に分けてお届けする。

上編は「壁との向き合い方」について。

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-21年を振り返って

秋山(以下、秋) 手応えのあるものはほとんどなかったですね。ケガ(左太もも裏痛)から始まって、なかなか治りづらいケガの仕方をしましたし、そこから出場機会っていうのは自分がまいた種として仕方ないなと思っていたんですけど、インパクトのあるものを出せなかったシーズンでした。

進次郎(以下、進) これが秋山翔吾君ですね。手応えのあるものが全くない1年でしたっていう振り返りをするところ、それをスパッと言うじゃないですか。22年は期待できますね。今日のインタビューは以上(笑い)。

秋 毎年、期待されているのに心苦しいんですけどね。

進 きっと、その中で手応えを感じられるものを探したと思うんですよ。僕自身がそうだし、何かうまくいかないことも政治の世界はあるから。私は今年、菅総理を支える立場で、支えきれなかった。その後の総裁選も河野さんを支えたけれども、結果は完敗と言ってもいい。今は冷や飯を食っていると言われますけど、「苦しい時期ほど支えなきゃ」と、今まで以上に支えてくれる仲間たちの気持ちが本当にうれしい。秋山君は手応えがなかったと言ったけど、これは良かったとか、探さない?

秋 探しますね。ただ、この時期は少し良かったっていうのもあんまりなかったんです。ヒットを打っても次の日出場機会がないことが多かった。ずっと試合に出られている状況であれば、打っていた時期、打っていなかった時期というのが自分で分かるんですよね。それもあって、(21年は)いろいろもがきながら練習はしたんですけど、手応えというか、手元に残ったものっていうのはそんなになかった。「こういう経験がプラスになる」「こういう時期があった」というのは、後から考えればあるかもしれないですけど、まだ、自分自身がその時期にいたくなかった、っていうのは正直ありますね。もっとバリバリやって、もっと年齢がいって、もうどうにもならないところまでいって、だけど、しがみついて代打でも何とかしていこうって思えるように切り替えられるまで、僕自身がなっていなくて。まだレギュラーで出たい、試合に出続けたい、打席に立ちたいって思いばっかりがある。とすると、(21年は)手元に残ったものはあまりなかったかなというのが正直なところですね。

進 でも、それだけ打席に立ちたい、出続けたいっていう気持ちが強いと思うんだよね。

秋 そうですね。試合に出たい、その飢えはかなり、あります。焦燥感というか、こういうのは過去何年かでは感じたことはなかったので。

進 それってすごい、いいことじゃない。飢えがあると、頑張るよね。

秋 頑張りますね。子供たちのアメリカでの成長も見てきて、やっぱりこの環境で今、学べているもの、家族としていろんなものを感じる時間っていうのは、日本ではなかったなと思いますし。そういう意味では、1年でも長く、少しでも長くっていうことを考えた回数が多かったかもしれないです。

進 たぶん日本でずっとやっていたら、その飢えってなかったんじゃない?

秋 そうですね。試合に出る、出ないに関係なく、どういう準備をするか、というところに目を向けなければいけなかったので、今までとちょっと違う焦りもかなりありましたね。

-20年年末の対談では、志高く、未来へ向けて語っていたが、思い通りにならならなかった。そういう時の対処法、向き合い方とは

進 完全に政治の目線でお話をすると、勝負をしなきゃいけない時があって、その時って、結果が分からないんですよね、どっちに出るか。果たしてそれがうまくいくか、いかないか。その時にいつも考えることは、どうせ失敗するんだったら「自分が納得のいく失敗の仕方をしよう」と。「ああやっておけばよかった」っていう風に後悔をする失敗の仕方や、やらない後悔、挑戦しなかった後悔を残さないようにしよう、というのはいつも思ってて。(21年を)振り返ったら2つで、菅総理と一緒に環境政策を前に進めてきて、再生可能エネルギー最優先の原則とか、本当に決めるまで大変な戦いをする中で、ブレずに菅総理を支えきる。どれだけ厳しい状況に置かれていようと、最後まで支える。中途半端な支え方はしない。そういう腹の決め方ってあるんですよね。だから、菅総理が自分で辞めるっていう判断をされたときに私が涙したのは、それまでの過程をいろいろ見てるから。全部振り切って支えた自分にしか、分からない思いがあったから。涙に批判もあって、全く理解できないと言う人ももちろんいたし、特にあの時、菅総理に対してはすごく世間が厳しかったから。もしかしたら中には、辞めたことを喜んだ人もいたかもしれない。そこは自分の中では腹を決めたものがありましたから。

もう1つは、総裁選。河野さんをどうやって勝たせるか。その支え方も、他の人と同じような応援の仕方ではなくて、やるなら徹底的に応援する。それくらいの、退路を断った、振り切った応援の仕方をしないと、勝てる戦いじゃないというのは元々分かっていたから。この2つとも、結果が全ての政治でいえば、結果が出なかったんです。野球の世界でいえばね、迷った時はフルスイングが僕の信条。そうすれば、結果が良くても悪くても後悔ないかなって。そういう対処の仕方ですかね。うまくいけば一番いいんですけどね。

秋 僕は、とにかく試合にスタメンで出る日、控えに回る日、大半は控えの方が多かったですけど、準備だけは怠らなかった。そこはブレなかったんですよね。9月にケガ(右太もも裏痛)をしたときも、その前の試合で本当に久しぶりにフル出場して、疲れが残ると思ったんですけど、次の日もすごく状態が良くて。むしろ、それまでよりも良いくらいだったけど、ケガをしてしまった。要は、自分が準備してきたことが間違っていた、というよりも、ケアの部分で問題があったんじゃないかとかって考えることができた。なので、次のステップを踏めるなと。今まで経験したことのない気持ちの中で準備する1年間でしたけど、ちょっとまた成長はしたかなって思いました。

-進次郎氏は、これまで周囲から厳しい目を向けられて、どうしようもなくなる時はあったか

進 僕は12年前の初めての選挙で、人に会うのが怖くなりましたね。本当に心が折れかけた。自民党に対して、そして世襲に対しての嫌悪感の2つが一気に押し寄せてきて。それが初めての選挙で、街中もう誰も話を聞いてくれないし、ビラも取ってくれない、握手も拒否される、つばを吐かれる、そして、物を投げられる、ど突かれる。こういう日々を過ごしていると、毎日毎日、怖くなるんですよね。逃げたかった。ちょっと今日、体調悪いから、って言えたら楽なのにな、って思うことも何度もありましたね。だけど、振り返って思うのは、あの時もし1日でも休んでいたら、もう街中に出られなかったかもしれない。穴を開けたら、もちろん迷惑をかける。でも、支えてくれる人がいっぱいいる。どれだけ苦しくてもつらくても、その苦しみやつらさを一緒になって受け止めてくれる後援会の人たち、支援者の人たちがいる。だから、逃げられない。逃げてはいけない。あのときは本当に苦しくて。だけど1回休んでいたら、立ち上がれなかったかもしれないなと、今では思いますね。

-これまで役職についてきたが、今は1歩引いた立場。心の持ち方で変わったことは

進 何が出来ていなかったか、逆に大臣じゃない時にしかできなかったことって何か、それをすごい考えてますね。今の時間の使い方は、今後の10年を考えても、ものすごい大事な時期だっていう捉え方をしています。この時をどう過ごすかっていうのが大事だなと今、すごい思ってますね。

-ほっとした部分もある

進 それは正直あるかもしれないですね。特にこの2年間って、こんなに変化の連続ってあるのかっていうくらい、変化の連続だったんですよね。結婚して、子供が生まれて、大臣になって。そしてコロナの問題が起こって。あらゆる変化が一気にきて、自分がその変化に追いついていくことで精いっぱいだった気がします。だから1回立ち止まって、しっかりと本当に必要なことに自分の限られたエネルギーを限りなく尽くすために、時間が限られている中でどう使うか。そこを考えてから動こう、そんな思いになっていますね。

(中編につづく)