メジャーが日本野球を認めた証し 野茂1000万円挑戦から29年経て大谷翔平、山本由伸が巨額契約

14日、ドジャース入団会見で背番号17のユニホームを来て笑顔を見せる大谷

<日本人ブランド 連載1>

メジャーが、本当の意味で日本野球のレベルを認めた証しと言っていい。大谷翔平投手(29)がドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)で契約したのに続き、山本由伸投手(25)もド軍と12年総額3億2500万ドル(約455億円)で契約を交わした。大谷はプロスポーツ史上最高額、山本はメジャーの投手史上最高額。なぜ、日本人選手がこれほど破格の評価を受けるのか。95年の野茂英雄以来、「日本人ブランド」が上がってきた過程を、3回にわたって探る。

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1015億円。一般社会とは比較にならない年俸を手にするプロアスリートとはいえ、だれもが現実味を感じられないほど桁外れの数字となった。「二刀流」で球界の常識を覆した大谷は、確かに特例かもしれない。だが、まだメジャーのマウンドで1球も投げていない山本も、巨額の契約を結んだ。それほど「日本人ブランド」への信頼感は着実に高まっていた。

野茂英雄がメジャー移籍して以来、来年で30年目。当時は、米移籍のルールが整備されておらず、野茂と代理人の団野村氏は「任意引退」の手続きを経た末、球界全体から猛批判を浴びながらドジャースとの交渉を続けた。95年2月に交わしたのは、契約金200万ドルながらもマイナー契約で年俸はわずか10万ドル(当時のレートで約1000万円)。90年のデビュー以来、4年連続最多勝、最多奪三振などの実績を残し、「日本のエース」だった野茂は、移籍前の年俸1億4000万円から大幅ダウンを受け入れたうえで海を渡った。

今でこそ「パイオニア」と呼ばれるものの、当時は周囲から「裏切り者」との声も聞かれ、好奇の目にさらされた。その後の活躍で「野茂マニア」と呼ばれるファンが出現するほどの人気を集め、球宴では先発投手も務めた。それでも、当時は日本人がメジャーで「活躍できるか」以前に、「通用するのか」のレベルで語られる時代だった。

01年、NPBで7年連続首位打者を獲得したイチローが、初めてポスティング制度でマリナーズ入りした際も、依然として「半信半疑」の空気は残っていた。当時は、メジャー全体に筋肉増強剤の「ステロイド禍」が広がり、本塁打依存でパワー全盛の時代。体が細いコンタクト打者のイチローに対しては、冷ややかな視線が注がれていた。ところが、初の日本人野手としてデビューしたイチローは、周囲の「逆風」をはね返し、1年目に新人王&MVPを獲得。04年には262安打の年間最多安打をマークし、スーパースターへの階段を駆け上がった。

時代によって物価も違えば、メジャー全体の収益も違うため、金額の比較をすることに意味はない。ただ、野茂が渡米した当時、日本人選手がメジャー最高額の年俸を手にすることなど、だれも想像できるはずがなかった。【四竈衛】