元中日の山本昌氏、飛躍きっかけドジャース留学に「辞めようかと」「島流しという風に捉えてた」

88年9月、プロ初完投、初完封で星野監督(左)に祝福される中日の山本昌

<ドジャース-ジャイアンツ>◇23日(日本時間24日)◇ドジャースタジアム

元中日の山本昌氏(58)がABEMAで解説を務め、88年のドジャース留学を振り返った。

中日は88年2月、ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本氏ら若手選手がそのまま現地に残ることとなった。そして、ドジャース傘下の1Aのチームで8月上旬まで過ごしたという。

当時を振り返り「メジャー2球団から欲しいって言われてたらしいです。僕は聞いてないですけど。9月の1日から(メジャー)契約でどうだってドラゴンズに(話が)来てたんですけど、(当時の)星野監督は『やれやれ! マサがメジャーなんて夢があるじゃないか』って言ってくれたんだけど、後で聞いたら『マサがそんな良くなってるわけねえだろ』って」と恩師とのエピソードを明かした。

このベロビーチキャンプで山本氏は、オープン戦で1回7失点を喫するなど散々な成績。現地残留を告げられた時の心境を「僕は星野監督に『アメリカ留学してこい』って言われたときには球団に言って辞めようかと思った。自分の中では島流しという風に捉えてた」と明かした。プロ入り後は成績が振るわなかった山本氏は、このアメリカ留学で、飛躍のきっかけとなるスクリューを習得した。