栄光と転落を一身に背負った人生…ピート・ローズ氏83歳で死去 イチローへ歯に衣着せぬ発言も

米大リーグで史上最多の4256安打を記録したピート・ローズ氏が9月30日(日本時間10月1日)、死去した。83歳だった。ネバダ州の検視官によると死因は特定されていない。70年代のレッズ黄金期に強力打線「ビッグレッドマシン」の1番打者として活躍。しかし、監督就任後に野球賭博への関与で永久追放処分を受けた。希代の両打ち打者は、米野球殿堂入りを果たせぬまま旅立った。

栄光と転落を一身に背負った人生だった。ローズ氏は63年、地元シンシナティでデビューすると、170安打を放って新人王獲得。最多安打を7度マークするなど、極端にかがむようなフォームで、左右両打席から広角にヒットを量産した。全力疾走や豪快なヘッドスライディングも特徴で「チャーリー・ハッスル」のニックネームで呼ばれた。ベンチ、モーガンらとレッズ全盛期の「ビッグレッドマシン」をけん引し、73年は3度目の首位打者に輝き、MVPにも選出された。

75、76年にワールドシリーズ(WS)制覇を果たすと、79年にフィリーズへ移籍。80年にもWS優勝を導いた。200安打はイチロー(マリナーズ)と同じ10度、オールスターに17回選出された。激しいプレースタイルにもかかわらず、故障とは無縁。通算出場試合3562は歴代最多で、タイ・カッブの通算最多安打記録を抜き去り、選手兼任監督の45歳までプレーした。

レッズ監督を務めていた89年、野球賭博への関与で大リーグ機構から永久追放処分を受けた。常に自軍の勝利に賭けていたという。15年には選手時代にも自チームへ賭けていたことが判明。野球殿堂入りを求めるなどしていたが、日常的なギャンブル癖もあり、復権の機運はしぼんだ。

球界追放後は、全米各地で有料のサイン会を行うなどしていた。亡くなる直前もナッシュビルでフォスター、ペレスらとサイン会に出席していた。歯に衣(きぬ)着せぬ発言も多く、イチローが日米通算で自らの安打記録を更新すると「日本での安打数も通算するなら、私の(マイナーも含めた)プロ通算も計算したらどうだ」「日本人はそのうち高校時代の安打まで数え出すのでは」と自負をのぞかせた。ただし、3000安打達成時には「祝福の大きな拍手を送りたい。希代の選手であることは疑いない」と認めた。最期まで強烈な個性を発揮し、83年の生涯を閉じた。

◆ピート・ローズ 1941年4月14日、米オハイオ州シンシナティ生まれ。ウスタンヒルズ高から60年レッズ入り。63年メジャー昇格。79年フィリーズ移籍。84年エクスポズで4000安打達成。同年、選手兼任監督でレッズ復帰。86年に現役引退し、監督専念。89年野球賭博に関与し永久追放。監督通算412勝373敗。現役時代は180センチ。87キロ。右投げ両打ち。<ピート・ローズ氏メモ>

◆親子大リーガー 息子のピート・ローズ・ジュニア内野手は自身が監督だった88年のドラフト12巡目でオリオールズ入り。メジャーでのプレーは97年だけで、レッズで11試合に出場。

◆脱税 永久追放処分後の90年には脱税で5カ月刑務所に入った。

◆復権かなわずも 大リーグ機構に求めた処分解除は却下されたが、球界イベントの参加はコミッショナーの事前承認があれば可能とされ、15年7月のオールスター戦の式典に出席。

◆球団殿堂 レッズは16年1月に球団の殿堂入りを発表。背番14を永久欠番とした。

◆ギャンブル ラスベガスで飲食店を経営していた。スポーツに関わる合法的な賭け事は行っていたという。