マリナーズとマイナー契約で合意した藤浪晋太郎投手(30)が1月、日刊スポーツのインタビューで米国3年目に懸ける覚悟を激白した。なぜメジャー契約でなくても海を渡るのか? 前編では剛腕の偽らざる本音に迫った。【取材・構成=佐井陽介】
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1月某日、夕刻の東京。藤浪は穏やかな笑みを携えて喫茶店に現れた。オフは11月上旬から12月中旬までプエルトリコ冬季リーグに初参戦。専属通訳、トレーナーがつかない単身生活は右腕の糧となったようだ。
藤浪 所属するボラス事務所の方が「行ってみたらどうですか」と提案してくれて、行くことに決めました。(右肩痛の影響で)シーズン中に投げられなかった登板数を補う面、先発に挑戦できる面、あとは単純にボールを触っておいた方がいいんじゃないかという面もあって。チームが用意してくれたコンドミニアムに1人で住んでいました。
最初はマウンドや感覚が合わなくて苦労もしました。開幕2日前にブルペンに入ろうとしたら「工事してるから無理」と言われて、「なんで2日前に工事してんねん」となったり(笑い)。でも最後の方は良かった。特に最終登板(5回を6奪三振2安打無四球で1失点)は球数も少なくて、めちゃくちゃ良かった。いい経験になりました。
メッツに所属した昨季は右肩痛も影響してメジャー登板ゼロに終わった。ちまたでは日本球界復帰の可能性もウワサされた。それでも本人は早々に25年のメジャー再挑戦を決断し、プエルトリコに飛んだ。ルーキーリーグから3Aまで長期間のマイナー生活を経験した直後だったのに、だ。
藤浪 今のマイナーは思っているほど過酷なわけではありません。長時間のバス移動もそこまでキツいわけではない。ご飯もハンバーガーばかりではないし、食べられるものも多い。ただ、孤独は孤独でした。通訳さんやトレーナーさんがいるとはいえ、思い悩むのは1人なので。とはいえ、それでも日本に帰る気持ちは皆無でした。24年は辛いことばかりでしたけど、まだアメリカで何も残せていない気持ちもあるし、何よりシンプルに楽しいし。
それに、自分の中で「ボール自体が通用しないわけじゃない」と思っている部分もあるんです。おごりと思われるかもしれないけど、「改善すればもっとやれるやろ」と自分に期待しているところもある。通用しないと感じながら異国で戦い続けるのは地獄だと思うけど、自分の場合はまだ希望があるから、たとえ厳しい条件でも勝負したいと思えるのかもしれません。
1月中旬、マリナーズとのマイナー契約合意が一斉に報道された。オファーを受けた数球団の中からもっともメジャー昇格の可能性が高いチームを選んだ形だ。春季キャンプには招待選手として参加する。
藤浪 自分はアメリカに残ることをそこまで複雑に考えているわけではなくて。「1、2年で日本に帰れない」というプライドもなくはないけど、それがメインの理由ではない。単純に「まだアメリカでチャレンジしたいねん」という話で、別に耐え忍んでいるわけでもない。「よく残る決断をしたよね」みたいに褒めたたえられるものでもないんです。歩みたい人生を好きで歩ませてもらっているだけ。投げたい場所でチャレンジする権利をもらえるのであれば、チャレンジしたい。それだけなんです。
今年の目標はメジャーに定着すること。月並みですけど、下からはい上がるしかない。頑張って上を目指す年にして、来年以降もできるだけ長くアメリカで挑戦できるようにしたい。
決して平らではないであろう道のりが待ち受けているというのに、藤浪の表情は明るい。「肩の状態も本当にいいので」。聞けば、長年抱えていた右肩の違和感からついに解放され、「けがの功名」にも手応えをつかんでいるのだという。(後編に続く)
◆藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう)1994年(平6)4月12日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭3年時に甲子園で春夏制覇。12年ドラフト1位で4球団競合の末、阪神入団。1年目の13年にセ・リーグでは67年江夏(阪神)以来となる高卒新人2桁勝利。15年最多奪三振。14年日米野球、17年WBC出場。23年1月にポスティングシステムでアスレチックス入団。7月にオリオールズにトレード。同年は2球団で計64試合登板7勝8敗2セーブ5ホールド、防御率7・18。24年2月にメッツ入団。25年1月にマリナーズとマイナー契約を結んだ。197センチ、98キロ。右投げ右打ち。