<ロッキーズ4-3ドジャース>◇18日(日本時間19日)◇クアーズフィールド
伝説の選手に並んだ。ドジャース大谷翔平投手(31)が18日(日本時間19日)、敵地クアーズフィールドでのロッキーズ戦で昨年8月24日から年をまたいだ連続試合出塁を50に伸ばした。「1番DH」で出場。3打数無安打で迎えた9回2死一塁の第5打席、右前打を放った。1900年から1901年のウィリー・キーラー外野手の記録に並んだ。イチロー(マリナーズ)に続き、100年以上前の記録を掘り起こした。
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最後の最後に記録を更新した。1点を追う9回2死、大谷は次打者席にいた。連続試合出塁記録が途切れる直前、9番の代打スミスが、二塁内野安打で出塁。思わぬ打席が回ってきた。ロ軍の抑え右腕ボドニクが162キロの直球を続けてきたが、3球目の151キロ内角低めチェンジアップを捉えた。打球速度178キロの痛烈ゴロで一、二塁間を破った。2本塁打が出たこの試合で、両チームを通じて最高速の打球だった。塁上で両手をたたいた。
連続記録を50試合の大台に乗せ、キーラーの記録を125年ぶりによみがえらせた。ロバーツ監督は「本当に素晴らしい。(9回に)もう1打席立つことを期待していたが、実際に回ってきて試合を変えるチャンスを得て、しっかり出塁した。相当優れた選手でなければこれだけの記録を達成することはできない。彼は別格」と称賛した。
2度、一塁に出ながら「連続試合出塁」にカウントされないという、奇妙な状況だった。第1打席は初球を打って一ゴロ。一塁手がベースカバーの投手へ悪送球し、セーフとなった。8回の第4打席は捕手のミットに振ったバットが当たり、打撃妨害で出塁した。しかし、どちらもルール上「連続試合出塁」の記録継続には当てはまらない。ならばとばかりに、クリーンヒットで文句なしの出塁をして見せた。
続くタッカーが凡退し、ド軍の連勝は4で止まった。だが、125年前の記録に光を当てたところに価値がある。キーラーが連続出塁記録を開始した1900年といえば、まだアメリカンリーグはなかった。基本的にメジャーリーグの記録といえば、2リーグ分立後の1901年以降を対象にするほど。イチローが8年連続200安打で並び、キーラーに注目が集まったのが18年前の2008年。日本から来た「メジャーの常識を覆した日本人2人」が、図らずも殿堂入り名選手をよみがえらせた。
◆ウィリー・キーラー 1872年、米ニューヨーク州生まれ。イチローの前に8年連続200安打の記録を持っていた外野手。ドジャースの前身、スパーバスに1899年から1902年に所属していた。164センチ、64キロと小柄で、バットの長さは77・5センチ、重さ1020グラムだった。グラウンドにボールをたたきつけ、高いバウンドで内野安打を狙う「ボルティモア・チョップ」の使い手としても知られる。1900年以前はルールが異なり、ファウルがストライクにならないなど記録集計に不備もあるため、多くが参考記録扱いとなっている。1894~1901年に200安打を放ち、通算2932安打、打率3割4分1厘。1939年、殿堂入り。左投げ左打ち。
▼ドジャース大谷が、連続試合出塁を昨年8月24日から年をまたいで50に伸ばした。球団では1900年8月22日から1901年4月22日のウィリー・キーラーに並ぶ3位。23年5月17日から7月12日ベーブ・ルース(ヤンキース)の最長にはあと1試合とした。連続試合出塁の記録継続においては、失策や打撃妨害での出塁はカウントされない。