【MLB特集】「泥臭く」生き抜く決意 カブスとマイナー契約交わした常松広太郎が語る「現在地」

試合後、インタビューに応じる常松。熱く、冷静に抱負を語った

今年1月、カブスとマイナー契約を交わした常松広太郎外野手(22=慶応大)が、自らの「現在地」を語った。「ゴールドマン・サツクス社」など有名企業から内定を受けながらも、メジャーへの夢を追って自ら険しい道を選択。渡米後、不慮の故障を経験しつつも、持ち前のプラス思考で、同じカ軍の大先輩でもある鈴木誠也外野手(31)と同じ背番号「27」を背に、プロ野球選手としての一歩を踏み出した。【取材・構成=四竈衛】

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気温43度。灼熱(しゃくねつ)の太陽光が容赦なく照りつけるアリゾナの青空の下、常松は野球を始めた少年期と同じように、純粋な思いで白球を追い続けていた。5月中旬に同地入りして以来、少しずつ、環境にも慣れ始めた。炎天下での試合後、「最後の方はバテバテでした」と振り返る一方、笑顔を絶やすことはない。「寒いよりも暑い方が好きです。湿気もなく、日本の夏よりも好きです。慶応時代の、夏の毎日の試合よりもずっといいです(笑い)」。すっかり日焼けした顔と白い歯に、大都会の喧噪の中では得られない、充実感がのぞいた。

カ軍のユニホームを着るうちに「プロ」になったことを実感した。連日、午前7時前後に起床、同30分には電動スクーターで練習施設入り、8時半から全体練習、11時から対外試合、または紅白戦…。太陽が少しずつ西に傾き始める夕刻、ようやく滞在先のアパートへ向かう。そんな野球漬けの日々が、新鮮で心地良い。「お金をもらって野球ができて、ありがたいことだと思ってます。小学校の時に好きで始めて、それでお金もらえる人ってそんなにいないですし、死ぬまで野球ができるわけではないので、楽しもうかなと思っています」。

ルーキーが集まる、通称「ブリッジリーグ」とはいえ、世界各国からえりすぐられた選手のレベルは、年々上がる一方。粗削りのイメージがある一方、身体能力の高い精鋭がズラリと並ぶ。「デビュー戦」では、5打数無安打4三振。3戦目で初本塁打を放ったものの、6月13日には左手甲に死球を受け、骨折した。時速96マイル(約154キロ)の快速球だった。その後、約2カ月間は、欠場を余儀なくされた。ただ、その期間を無駄にするつもりはなかった。慶大時代、左足を大きく上げる打撃フォームだったが、少しだけ上げる形に大幅改良した。

「真っすぐに遅れないこと。それだけです。真っすぐが100マイル(約161キロ)は出てますから。その中でもホップしたり、シンカーだったり、とりあえずスピードに怖さを持たないことが変化球の対応にもつながってくるので、打ち方も変えました」。

東京6大学の名門「慶応の4番」を務めた実績があっても、米国では結果を残さない限り、だれも認めてくれない。単純なパワー勝負で生き残れる世界でもない。あらかじめ想定内ではあっても、「ここでは変えるしか道はない」と、故障を機に腹をくくった。「正直、長打は狙わず、とりあえずコンパクトにこだわってやろうと思って、それができていけば、後々長打は打てると思う。今はとにかくライナーを打とうと思ってやっています」。故障中は右手1本で打撃練習を反復した。「ケガして良かったと思えるように変えてみました」。負の要素を前向きに捉えるプラス思考。安定した超優良企業ではなく、自ら言う「わだちのない道」を選択した常松が、偶発的な故障で塞ぎ込むはずもなかった。

正式契約時「26」だった背番号は、同地入りした際、「27」に変わっていた。「僕が選んだわけじゃないんですけど」と笑いながらも、同じ背番号の先輩・鈴木への憧れを口にした。

「同じ組織で、同じ右打者で活躍しているのが鈴木誠也さん。目標というか、必ずしも同じ資質を持っているとは限らないので、あんまり誰かになりたいというのは…。ただ、このゲーム(戦い)で勝ち残った姿が格好いいかなと思っています」。

周囲から大手企業の内定を「蹴った」と評されることは本意ではない。ただ、周囲に流されたり、後悔だけはしたくなかった。「大学4年の秋の途中から、それまでの打撃とまた一段、自分の中でつかんだものがあって、このまま、終わるのはもったいないと思っていたタイミングで、道が開けるかもなと思って、それから段々、ありだなと思った感じです」。

基本的に、食事はクラブハウスで2食。余分に持ち帰って済ませることも少なくない。日本食スーパーで冷凍ごはん、大好物の納豆を買い出すなど、はた目には苦労が絶えないようにも映る。だが、悲壮感はみじんもない。「毎日がすごく早い。必死に野球をやっていたら1日が終わる」と話す一方、時間があれば、活字を求め、司馬遼太郎らの名作を読む習慣も変わっていない。

「東京に住んでいると成功への道筋が、すごく限られているように感じることがありましたが、今はいろんな選択肢があっていいと思うようになりました」。

周囲の価値観を理解しつつも、流されることなく、我が道を選択した。そこに逡巡はなかった。

「大谷(翔平=ドジャース)さんもそうですけど、人として、何の仕事をしていても、人と違う経験、キャリアを歩んでいくことが、自分を作り上げていくと思います」。

だからといって、やみくもに突っ走っているわけではない。自らを客観的に見つめつつ、今は打算、妥協に走ることなく、目の前の可能性に全身を注ぐ。

「美学はないです。めちゃくちゃ、俗物というか…(笑い)。このサバイバルゲームで生き残るうえで王道で勝負できるのであれば勝負したい。とりあえず、生き残るために、泥臭くやろうと思っています」。

「元慶応ボーイ」は、激しい生存競争の中で「泥臭く」生き抜く決意を、爽やかな表情で口にした。

◆常松広太郎(つねまつ・こうたろう)2003年(平15)10月27日生まれ、米ニューヨーク州ライ市出身。小4から小6までは商社マンの父の仕事の影響で米ニューヨーク州に在住した。中高と慶応湘南藤沢を経て、慶大では3年春からメンバー入り。好きな有名人はゴールドマン・サックスのジョン・ジョイス。大事にしている言葉は「粗にして野だが卑ではない」。大学通算4本塁打、19打点、打率2割6分3厘。185センチ、89キロ、右投げ右打ち。