「世界一のピッチャー」を目指す。高校屈指の最速157キロ右腕、横浜(神奈川)・織田翔希投手(3年)が15日、横浜市内の同校で記者会見を開き、NPBを経由せず米球界へ挑戦する決意を表明した。国内から世界へ。目指すべき頂が変わり、新たな航路へ歩み始めた。
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同校会議室に集まった40社90人の報道陣を前に、織田は胸を張った。「自分の最終目標である世界一のピッチャー、世界で活躍するという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました。マイナーリーグもそうですけど、大学の方も考えております」。世界の舞台を見据えた一歩を踏み出す。晴れやかな表情で、言葉の一つ一つは力強かった。
NPBか、メジャーか、選択を迫られていた。最後は「世界でプレーをしたい」という夢の実現のために、どの道を選ぶべきなのか。自分と向き合い考え抜き、答えを出した。
二つの理由があった。「一番の困難である言葉の壁という部分で、若いうちから生の英語に触れることによって、メジャーリーグに上がった際に自分の意思をチームとしっかりと意思疎通を図れる」。メジャーリーガーの自分を頭に描き、そのために必要な準備を考えた。実は、すでに夏頃から洋画は字幕なしで鑑賞するなど、アメリカを意識した生活を始めていた。
そして、もう一つは世界への思いだ。「高校日本代表で初めて日の丸を背負って国を越えて戦わせていただいた。トップの選手が集まっていて、こういう舞台で上を目指してプレーしたいと刺激を、選手や、その環境からももらいました」。日本ではトップを走っていた織田が世界を肌で感じ、さらなる上を目指す動機を得た。「横浜で日本一の夢を持って完走できた。次は世界で戦いたい」。織田のビジョンが広がった。
大学進学とマイナー契約と両方を視野に、新たな道を探る。「たくさんの方々の思いも背負ってアメリカの地で挑戦したい」。18歳の高校生の大きな決断。確固たる決意と覚悟を胸に、海を渡る。【保坂淑子】
◆織田翔希(おだ・しょうき)2008年(平20)6月3日生まれ、福岡・北九州市出身。同市の足立小1年で野球を始め、足立中では全国大会に出場。軟式球で143キロをマークした。横浜では1年春からベンチ入り。昨年センバツから4季連続で甲子園出場。昨年センバツでは全5試合に先発し優勝に貢献。同夏甲子園は8強入り。今夏は4強入りで高校日本代表入り。好きな言葉は「親孝行」。特技は体が柔らかいこと。186センチ、80キロ。右投げ右打ち。
∇横浜・村田浩明監督 この日を迎えるにあたりまして、とてつもない時間を共にいろいろ相談しながら、悩みながら、時にはけんかしながら。答えを出したのが今の答えです。彼が決断したこの進路、僕は全力でどこまでも応援したいと思いますし、そういう心をみんな持って送り出したいと思っております。