試合後には高橋監督も交え、全体ミーティングが実施された。主将3年目の坂本勇は「1つ勝つのがこんなに難しいんだなと、ジャイアンツに入って初めて感じています。選手でミーティングとかもしているけど結果として負けているので、何と言えばいいのか…」と漏らした。左太もも痛を抱えながらも出場を志願した村田は、首脳陣に制され欠場した。交流戦7戦3発の男は「切り替えて、と言っている場合じゃない。何かを大きく変えないと流れは変わらない。(自分は)打撃フォームとか思い切って変えて良くなった部分はある。それをみんなが考えないと」と必死に前を向いた。

 V9、ON…。栄光に彩られた歴史を持つ名門が、勝ちたい欲求と、勝てない現実のはざまで苦しんでいる。高橋監督は「結果を残していくのがプロ野球選手の仕事。明日もゲームがあるし、はね返すチャンスはある。明日も頑張るしかない」と結んだ。トンネルの出口は、必ずある。だが陥った闇は、深い。【浜本卓也】

 ◆巨人球団史 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時の読売新聞・正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)を含む36度。日本シリーズ優勝は22度。オーナーは老川祥一氏。