広島連覇は、スカウティングの勝利でもある。田中、菊池、丸、安部、西川らの主力野手はいずれも20代。薮田、岡田、大瀬良ら近年ドラフト上位で獲得した大卒投手も順調に頭角を現した。中でも顕著な例が、高卒5年目で4番に定着した鈴木誠也外野手(23)で、二松学舎大付時代は投手。身体能力にほれ込み、野手として獲得した12年の「大当たりドラフト」を振り返って獲得の裏側に迫った。

 いつも冷静な尾形佳紀スカウト(39)の声が室内に響いた。「絶対に鈴木誠也がいいと思います」。豊作と言われたドラフト会議を2日後に控えた12年10月23日。マツダスタジアム内の球団事務所でスカウト会議が行われていた。

 チームが獲得候補としていた1つが、高校生の遊撃手だった。本命は甲子園でPL学園・清原に並ぶ29打点を挙げた光星学院・北條(現阪神)。誰もが認めるスター選手で「遊撃手の能力では北條の方が上」と尾形も認めていた。

 だが、尾形には3年間追い続けた選手がいた。二松学舎大付の鈴木だ。「ユニホームの着こなし、立ち居振る舞いが違う。立ち姿が格好良く、走る姿もいい。野球センスを感じた。打ち取られると悔しさを態度に出す、何より野球に真っすぐな気持ちがプロ向きだと感じた」。

 2人の評価には大きな開きがあった。外れ1位候補でもある北條に対し、鈴木は3、4位あたり。甲子園に出場せず、担当スカウト以外はプレーを見たこともない。評価を上積みする試合の映像もなかった。

 それでも尾形は諦めなかった。会議まで1人でこもり、撮りためた練習映像を編集。自作の“誠也ムービー”でアピールした。フリー打撃での対応力の高さ、飛距離。走塁練習の脚力、バネのある躍動感。その映像で、鈴木のポテンシャルの高さを明確に伝えた。

 評価は一変した。松田球団オーナーが「何位なら取れそうなんだ?」と関心を示すと、尾形は即答した。「2位なら間違いなく取れます」。ほかのスカウトから「4位くらいでも取れるのでは」という声も挙がったが「4位ではきついです」と言い切った。他球団の動き、評価もあったが、何より素材の高さが上位指名に値すると確信していた。それ以上に、取りたい気持ちが強かった。

 いつしか鈴木の評価は上がっていた。東北担当は変わらず北條を推す。最終的に、当時の野村監督の「2人はどっちが足速いの?」が決定打となった。即答したのは尾形だ。「鈴木の方が速いです」。さらに「潜在能力、バネが違います」とたたみかけた。ドラフト前日、熱意で指名順位が繰り上がった。

 広島スカウトは担当エリア外の選手を見るクロスチェックを行わない。それぞれの担当の眼力が問われる。プレゼン能力もいる。有名無名は関係ない。競合覚悟で1位指名することもあれば、アマチュア時代に無名だった菊池、薮田を上位指名することも。20代の選手がチームの骨格を担って成し遂げた連覇の陰には、有能なスカウト陣の尽力がある。

 尾形は当時の正直な胸の内を明かす。「本当は、投手だったので遊撃を守れる確信はなかった。結局、ショートはできなかったからね。でも能力は絶対上だと思ってた」。才能は4年目の昨シーズン花開き、今季は4番を務めた。あの日、広島と運命の糸がつながった男が紛れもなく連覇達成の原動力になった。(敬称略)

 ◆尾形佳紀(おがた・よしのり)1978年(昭53)8月5日、北海道生まれ。日大藤沢2年夏に甲子園出場。日大-ホンダを経て03年ドラフト4巡目で広島入団。1年目の04年に二遊間のほか外野でも起用され、自己最多の53試合に出場。その後は右膝靱帯(じんたい)断裂などに苦しみ、09年引退。スカウトに転身した。現役時代は175センチ、70キロ。右投げ左打ち。