西武山川穂高内野手(27)が自身初の沖縄凱旋(がいせん)試合で地元弾を放った。1点リードの7回、追撃の20号3ランを左翼スタンドへ運んだ。沖縄出身選手による地元弾はプロ野球史上初、43試合目での20号到達は史上5番目の早さ。チームは借金返済で4位浮上。プロ6年目を迎えたホームランキングが、故郷に錦を飾った。

   ◇   ◇   ◇

指笛に乗せられた打球が、沖縄の夜空めがけて飛んでいった。聖火ランナーのようにバットを持ったまま走りだした山川は「鳥肌が尋常じゃないくらい出ました。鳥肌全開です!!」。打ちたかった地元・沖縄弾を全身で味わった。1点差に迫られ迎えた7回の第4打席だった。スライダーをとらえ4点差に突き放す会心の3ラン。スタンドを埋め尽くした島人(しまんちゅ)と、どすこいパフォーマンスを何度も繰り返した。

力がみなぎるのも無理はない。プロ6年目にして初めての凱旋試合。2試合で招待予定の友人らは300人。「沖縄に恩返しをしたい気持ちだったので、こういう形になって最高です」。18年間過ごした沖縄。10年前はまだ無名だったが山川の名が場内アナウンスでコールされると、指笛の音とともに歓声が沸き起こった。オリオンビールのCMに抜てきされ、球場にはでかでかと広告が掲げられる。名実ともに沖縄の顔になって戻ってきた。

野球をやれない悔しさと、野球をやれる喜びを知った原点の場所だった。中部商時代、1年生のとき野球の記憶はほとんどない。

山川 1年の時はつらかったですね。雑用とかもあったから、あまり野球ができなかった。でもその1年があったから2年になったときに、野球ができる幸せをかみしめました。授業中もずっと野球のことを考えていましたからね。それが大学に入っても続いて。今はそれが朝から晩まで考えていられる。幸せですよね。あの1年があったからですよ。

打撃練習では今でも「ちゅんじゅく!(沖縄弁で強くの意味)」と繰り返す。地元出身選手による沖縄でのアーチは史上初めてで、5番目の早さで到達した20号が記念すべき1発となり、沖縄では西鉄時代の61年以来58年ぶりの勝利をもたらした。「沖縄のみんなの支えがあってここまで来られた。今日は少しだけ余韻に浸って、すぐにまたどう打つか考えると思います」。早くも連夜の沖縄弾を思い描いた。【栗田成芳】