シーズンオフ企画で阪神ナインの原点、足跡をたどる「猛虎のルーツ」。第6回は、遊撃のレギュラー定着を狙う阪神北條史也内野手(25)です。

青森・光星学院(現八戸学院光星)時代は同級生の現ロッテ田村らと3季連続甲子園準Vを果たし、プロの扉を開いた。当時の金沢成奉総監督と仲井宗基監督が、両極端のライバル田村との秘話や知られざるエピソードを明かした。【取材・構成=奥田隼人】

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北條は大阪狭山ボーイズに所属していた中学3年の09年9月中旬、当時の青森・光星学院(現八戸学院光星)金沢成奉監督(53=現明秀日立監督)の目に留まった。チーム関係者の紹介で別の選手を視察に足を運んだ大阪の練習グラウンドで、印象に強く残ったのが同学年の北條と田村だったという。「(打撃練習に)田村が入ってきて10発中9発放り込んで『こりゃすごいな』と。続いて入ってきた北條も同じくらい打った。『こんなの坂本クラスやないか』とすぐに言いましたね」。同校OB巨人坂本の中学時代を見た際と北條を重ね「同じくらいの衝撃だった」と振り返る。10校以上から注目されていた北條が同校入りを決め、続くように田村も入学を決めた。

同11月に金沢監督は総監督となり、仲井宗基監督(49)が就任。仲井監督は北條の素質を認めながらも「ポテンシャルは北條だったが、すぐ使えたのは田村だった」と述懐する。ベンチ入りは2人とも1年春から。しかし、3年間で本業の捕手以外に左翼や三塁もこなした田村とは違って北條は不器用だったという。ただ、金沢氏は「北條には爆発的な能力があった。スランプも長いけど、打ちだしたら止まらない。そこは多少、坂本に似ていた」と、秘めたる才能を感じていた。

「田村は天才型、北條は努力型」と、総監督として打撃を中心に指導していた金沢氏は表現する。「田村はほとんどいじることはなかった。北條はスランプが長いから、付きっきりですよ。独特のフォームで時間もかかる」。タイミングを取る際にグリップを上下するヒッチ癖があった北條。その特徴を長所にしようと、右手小指を左手人さし指にかぶせるなどの工夫も凝らした。「少しおかしくなったら、すぐに一からもう1回。北條はとにかく努力して、努力して。ちょっとずつだけど、うまく上達していった」。3年間で指導に充てた2人への時間比は「北條9・9、田村0・1」と表現するほど。田村が嫉妬し、北條の方をよくチラチラ見ていたという。

2年春から4季連続出場した甲子園で北條は通算打率3割7分9厘、29打点と活躍し、3季連続準優勝となった3年夏には4番で1大会4本塁打も記録。恩師2人も口をそろえる勝負強さは言うまでもないが、その裏にはやはり努力があった。仲井監督は「北條は甲子園の大会中もめちゃくちゃバットスイングをするんです。一心不乱に、誰も寄せ付けない雰囲気で。真面目で一生懸命やる子だった」と明かす。大会期間中に宿舎で毎日設けられる素振りの時間。最後の最後まで、北條は黙々と振り続けた。その姿は、どれだけ試合で打った日でも変わることはなかった。仲井監督は今も、部員たちにこの話を手本として伝えている。

北條と田村は互いに刺激し、切磋琢磨(せっさたくま)し成長していった。2人はチームの中心としてけん引し、甲子園大会で輝かしい成績を残した。金沢氏は理想のライバル関係として「北條と田村、相乗効果があった。田村の存在なくして、今の北條はない」と断言する。最終的に3番田村、4番北條に組んだ仲井監督は「打順を離すと全く機能しなかったんです。お互いがいたから3、4番でよかった」と裏付ける。両極端な最高のライバルの存在が、北條をより大きく成長させた。

○…北條は高校時代を「一番僕が成長した時期」と位置づける。「金沢さんと仲井さんにはすごくお世話になった。人間的にも野球の技術的にも、両方ですごく成長させてもらった。感謝しかないです」。3年間で学んだことは「全て」で今に生きているという。小学校からずっとチームメートだった田村については「あいつはすごかったので、追いつきたいという気持ちでやってました」と振り返った。

◆19年の北條 新人木浪と遊撃の座を争い、定位置を譲る形で開幕1軍スタート。併用されながらも中盤から徐々に先発が増え、8月30日巨人戦では三塁でも先発。以降は三塁で大山と併用される機会が増えた。持ち前の勝負強さは健在で、負ければクライマックスシリーズ(CS)進出が消滅する9月21日広島戦では、途中出場で決勝2ラン。DeNAとCSファーストステージでは全3試合に先発し、第1戦で5打点を挙げる活躍。自身初のCS出場など自信をつけた。

◆北條史也(ほうじょう・ふみや)1994年(平6)7月29日、大阪・堺市生まれ。浜寺ボーイズで小4から野球を始め、中学では大阪狭山ボーイズに所属。青森・光星学院(現八戸学院光星)では1年秋からレギュラー。高校通算25本塁打。12年ドラフト2位で阪神入団。家族は両親と兄、弟。19年は82試合に出場し、オフに結婚を発表。177センチ、79キロ。右投げ右打ち。

◆田村龍弘(たむら・たつひろ)1994年(平6)5月13日、大阪・狭山市生まれ。小学校から野球を始め、中学では大阪狭山ボーイズ所属。光星学院では1年春からベンチ入り。阪神北條とは小学生時代にも一時チームメートで中学、高校とともにプレー。高校通算37本塁打。3年夏のU18世界選手権でも中軸として活躍。12年ドラフト3位でロッテ入団。16年ベストナイン。174センチ、80キロ。右投げ右打ち。

◆金沢成奉(かなざわ・せいほう)1966年(昭41)11月13日、大阪・吹田市出身。大成-東北福祉大では二塁手。学生コーチも経験して同校コーチを経て、95年11月に光星学院監督に就任。甲子園は春夏通算8度出場。12年に明秀日立(茨城)監督に就任。18年春に甲子園出場に導く。教え子に巨人坂本、DeNA細川ら。

◆仲井宗基(なかい・むねもと)1970年(昭45)5月3日、大阪市出身。桜宮-東北福祉大では捕手。93年から光星学院のコーチを務め、10年から監督で甲子園春夏通算12度出場。15年、18年にはU18日本代表コーチ。教え子にロッテ田村、ソフトバンク育成田城ら。