「ミスタードラゴンズ」こと、中日元監督の高木守道さんが17日、死去した。78歳だった。

高木守道さんの歩みを写真で振り返る。


1941年7月17日、岐阜県生まれ


県岐阜商から60年中日入団

60年、中日に入団した当時の高木守道氏
60年、中日に入団した当時の高木守道氏

中日ひと筋、現役通算21年

巨人戦に出場する高木守道
巨人戦に出場する高木守道
犠打を試みる高木守道(79年撮影)
犠打を試みる高木守道(79年撮影)
巨人ベンチが見つめる中、満塁本塁打を放つ高木守道(1969年撮影)
巨人ベンチが見つめる中、満塁本塁打を放つ高木守道(1969年撮影)

盗塁王3回、ベストナイン7度

中日対ロッテ第1戦 9回裏中日1死一、二塁、高木はサヨナラ適時二塁打を放ち、笑顔でスタンドにバンザイ(1974年撮影)
中日対ロッテ第1戦 9回裏中日1死一、二塁、高木はサヨナラ適時二塁打を放ち、笑顔でスタンドにバンザイ(1974年撮影)
自主トレで柔軟体操をする高木守道二塁手(手前)と権藤博遊撃手の新二遊間コンビ(1966年撮影)
自主トレで柔軟体操をする高木守道二塁手(手前)と権藤博遊撃手の新二遊間コンビ(1966年撮影)
同年限りで引退する中日高木守道(左)をインタビューする板東英二(1980年撮影)
同年限りで引退する中日高木守道(左)をインタビューする板東英二(1980年撮影)
セ・リーグオールスター東西対抗でこの年、一緒に引退する高木守道(右)と握手する王貞治(1980年撮影)
セ・リーグオールスター東西対抗でこの年、一緒に引退する高木守道(右)と握手する王貞治(1980年撮影)

守備の名手 バックトスやグラブトス

右中間への打球を好捕し二塁に入った遊撃手にバックハンドトスする中日高木(1979年撮影)
右中間への打球を好捕し二塁に入った遊撃手にバックハンドトスする中日高木(1979年撮影)
右中間への打球を好捕し二塁に入った遊撃手宇野勝(左)にバックハンドトスで送球する中日高木守道(1979年撮影)
右中間への打球を好捕し二塁に入った遊撃手宇野勝(左)にバックハンドトスで送球する中日高木守道(1979年撮影)
ドラフトで中日に入団。岐阜商1年の時、当時立教大4年生だった長嶋茂雄にコーチを受け、遊撃手から二塁手に転向
ドラフトで中日に入団。岐阜商1年の時、当時立教大4年生だった長嶋茂雄にコーチを受け、遊撃手から二塁手に転向

引退後は中日監督として2度就任

ベンチから試合前練習を見つめる高木守道監督(1993年撮影)
ベンチから試合前練習を見つめる高木守道監督(1993年撮影)
巨人を破り首位に並んだ高木監督は8勝目を挙げた郭と抱き合い笑顔を見せる(1994年撮影)
巨人を破り首位に並んだ高木監督は8勝目を挙げた郭と抱き合い笑顔を見せる(1994年撮影)
岩瀬仁紀(右)を出迎える中日高木守道監督(2013年9月23日撮影)
岩瀬仁紀(右)を出迎える中日高木守道監督(2013年9月23日撮影)
日本ハムに連勝、井端とタッチする高木監督(左)(2013年撮影)
日本ハムに連勝、井端とタッチする高木監督(左)(2013年撮影)
8回表中日1死二、三塁、平田の一ゴロで生還した井端(左)を出迎える高木監督(2012年撮影)
8回表中日1死二、三塁、平田の一ゴロで生還した井端(左)を出迎える高木監督(2012年撮影)

伝説の10・8では悔しい思いも

94年10月8日、巨人に敗れ優勝を逃し報道陣に囲まれる中日高木監督
94年10月8日、巨人に敗れ優勝を逃し報道陣に囲まれる中日高木監督

06年に野球殿堂入り

野球殿堂入り会見 喜びを語る高木守道氏(06年1月10日撮影)
野球殿堂入り会見 喜びを語る高木守道氏(06年1月10日撮影)
野球殿堂入りの表彰を受けた山田久志氏(左)と高木守道氏はスタンドにあいさつ(2006年撮影)
野球殿堂入りの表彰を受けた山田久志氏(左)と高木守道氏はスタンドにあいさつ(2006年撮影)

2012年スローガン「join us ファンと共に」

就任会見で仮のロゴマークを発表する高木新監督(2011年12月2日撮影)
就任会見で仮のロゴマークを発表する高木新監督(2011年12月2日撮影)

2020年、78歳で死去

満面の笑みでファンの声援に応える高木監督(2013年7月13日)
満面の笑みでファンの声援に応える高木監督(2013年7月13日)