プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が死去したことが9日、分かった。93歳。

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平松政次氏(72=大洋時代、監督とエース)

私が200勝できたのは関根さんのおかげです。いなかったら、その前に引退していましたね。

82年でした。名古屋遠征中に関根監督のホテルの部屋を訪ね「辞めようと思うんですが」と申し入れたんです。5月5日の中日戦が登板予定日で、その前日です。「オレが最期をみとってやる」と言ってくれた。肩の痛みが消えず、登板時は必ずボルタレン(痛み止め)を飲んでいました。

翌日、予定通り先発したんですが、やっぱり痛い。球がいかない。真っすぐは山なりですよ。それが逆にチェンジアップになって、谷沢や田尾といったところが打てない。5回を1失点に抑えた。通算185勝目になりました。続く甲子園遠征で、再度話し合い。トレーナーにみてもらったら「筋肉はまだ生きている」という話になって、続行を決めました。

翌83年。「薬を飲み続けたら体が持たないぞ」の忠告も受けて、体づくりから再スタートしました。この年に200勝に届いた。関根さんが監督でなかったら私の成績に200の数字はなかったと思います。