古田涙の決断、スト決行 合意寸前の破綻/復刻

2004年9月18日付日刊スポーツ紙面

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月18日付紙面を振り返ります。2004年の1面(東京版)はプロ野球史上初となるストライキ決行を報じています。

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 労組日本プロ野球選手会(ヤクルト古田敦也会長=39)と日本プロ野球組織(NPB)の労使協議(協議交渉委員会)が17日、都内のホテルで行われ、選手会は18、19日のストライキ決行を決めた。16日に続く交渉は午前11時から延長、再延長して午後9時前まで約10時間に及んだ。古田会長は新球団参入で来季12球団維持を求め、一時は合意寸前まで行ったが、言葉をめぐり決裂した。前日、進退をかけて打開案を出した根来泰周コミッショナー(72)は辞意を表明した。史上初の「野球のない週末」は、70年のプロ野球史で1番長い日を経てやって来る。

 急転直下のストライキだった。本来のスト決行決断時間だった午後5時を過ぎて、選手会と機構側は合意文書の作成に入っていた。しかし、その文書に記す文言をめぐって、両者は1歩も引けなくなった。別々の部屋で協議を繰り返した。妥協点を探った。古田会長も、何度も機構側の部屋に足を運んだ。目に涙を浮かべながら、なんとかストを回避すべく熱弁をふるった。しかし、4時間延長でも歩み寄れなかった。

 プロ野球をファンから奪うことになったのは、言葉の解釈問題だった。古田会長は「来季からの新規参入に向けて最大限の努力をしてほしいとお願いした。来季から必ず入れて欲しいとは言っていない。可能性があれば良かった」。しかし、なにを持って最大限の努力なのか。結果が伴わないことは許されないのか。経営者側はこの言葉に二の足を踏んだ。

 もう1つは「以降」という言葉だった。05年以降からの新規参入を認めるという文言を記そうとした機構側に、選手会側は「以降」は05年ではないと判断した。前回の交渉後の会見でロッテ瀬戸山代表が「信頼関係でいきましょう」と声をかけてきたが、選手会としてはどうしても信頼を置けなかった。「これまでの交渉の過程で判断するとそういうこと。あいまいなことではだめということで、今回の結果になった」と、選手会の松原徹事務局長は唇をかんだ。

 選手会側が協議していた部屋に何度も足を運んだ機構側の伊藤修選手会担当顧問は「ほんのささいなことが、恐ろしい結果になってしまった」と嘆いた。だが、そんなささいな言葉の解釈まで具体的に行わなければならないほど、両者の関係は崩れていた。溝は最後まで埋まらなかった。

 6、5、4と減らす努力ではなく、偶数なら6、8にして、多くのプロ野球を見せる形にしてほしいと提案していた古田会長は、機構側が、誠意を持って新規参入に取り組むと言った「誠意」という言葉の中身にこだわった。「誠意というのはちゃんとした言葉なんですが、いつから、どういう努力をするのか、言葉を入れてもらえなかった。妥結するわけにはいかなかった。たくさんのファンに申し訳ない」と話した。明日19日には、都内でファンへの謝罪の意味も込めたイベントを計画している。

 21日に経営者側が会議を行い、今回の結果を検討する。経営者側に変化があれば、それ以降に来週末のスト回避に向け再び協議交渉の再開もある。しかし、このままの状況なら27日の選手会の臨時運営委員会の結果次第で、日本シリーズが行われない可能性もある。古田会長は「誠意を持ってという言葉すら今となってはあいまいに聞こえる」と語った。交渉後、全国放送の番組に生出演した古田会長は、ところはばからず涙を流した。70年かけて築いたプロ野球。崩れた信頼を取り戻すのは、間違いなく、簡単ではない。

※記録や表記は当時のもの