中日岩瀬、宝刀封印で復活 日本最多タイ949登板

9回裏巨人2死満塁、岩瀬は村田を右飛に仕留め、打球を見詰める(撮影・浅見桂子)

<巨人5-6中日>◇4日◇東京ドーム

 中日岩瀬仁紀投手(42)が、歴代最多949試合登板を達成した。プロ19年目で米田哲也が持つ日本記録に並んだ。同点の9回2死一、二塁で抑えの田島を救援。通算403セーブを誇る百戦錬磨の鉄腕らしく、サヨナラ負けのピンチをしのぎ、延長10回の勝ち越しにつなげた。今季3勝目で大記録に花を添えた。

 節目のマウンドも、胃が痛くなる場面だった。抑えの田島が崩れ、急きょ出番が来た。失点すれば負けの状況で阿部に右前打され2死満塁。村田にもカウント3-1。「押し出しはしないようにと。節目に弱いのかなあと思ったけど、振り切って、もう1回気持ちを入れ直した」。137キロの直球で右飛に抑えた。

 「いろいろな人に支えられ、応援してもらった。もう1回しっかり球を投げられるように頑張ろうと思っていました」

 14年夏に左肘痛に見舞われた。初の大けが。15年は登板なし。復帰した昨年も不調続き。1度は引退を決めた。だが球団幹部を通じて白井オーナーから「やめるな」と伝えられた。

 開き直り、決心した。「死に神の鎌」と呼ばれる大きな変化で代名詞だったスライダーを封印した。「せっかく続けさせてもらったから新しいことをやってもいいかな、と」。小さく滑るカットボールを新たな相棒に選択。新スタイルで完全復活を果たした。

 先発は1度だけ。イニング数が米田、金田正一の5分の1以下。だが先発とは違い、ほぼ毎日が「出勤日」だ。試合展開でいつ登板があるか分からない。試合中盤、ベンチ裏のトレーナー室でマッサージを受ける。仮眠する選手も多いが、自ら心配性と言う岩瀬は寝たことがない。

 「ストレスはずっとかかりっぱなし。シーズンが終わるまでホッとする瞬間はない。ホッとすると体が動かなくなりそうだから、落ち着きたくない」。打たれた記憶だけが残り、いい経験は「覚えていない」。ひたすら重圧に耐えてきた。ストレス発散法は好きな肉料理を食べるくらい。酒も飲めない。全盛時は部分的に髪の毛が抜け、数カ所に及ぶこともあった。

 突出した筋力はない。豊富な練習量と、綿密なケアで気の遠くなるような数字を積み上げた。「記録は終わってから振り返ればいい。今は記録への思いは特にない」。勝利に飢えた鉄腕はまだまだ腕を振る。【柏原誠】

 ◆岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれ。西尾東から愛知大、NTT東海(当時)を経て98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで65試合登板、10勝と優勝に貢献。最優秀中継ぎ投手賞を3度獲得。04年から抑えに転向。最多セーブ5度で、05年の46セーブはプロ野球タイ記録。14年7月に史上初の通算400セーブを達成。99~13年まで15年連続で50試合に登板。181センチ、85キロ。左投げ左打ち。

 ▼中日岩瀬が4日の巨人16回戦(東京ドーム)にリリーフ登板し、米田哲也(近鉄)が持つ949試合の通算最多登板記録に並んだ。初登板は99年4月2日の広島1回戦(ナゴヤドーム)。11月で43歳となる岩瀬は今季45試合に登板。48年に40歳の若林忠志(阪神)がマークした40代シーズン最多登板の48試合へ、あと3試合とした。

 ◆大リーグでは 通算949試合以上は19人で、最多は46歳まで投げた左腕ジェシー・オロスコ(79~03年メッツほか)の1252試合。現役最多は「Kロッド」ことフランシスコ・ロドリゲス(現ナショナルズマイナー)の948試合。