大和の遊撃守備に思い出す、12年前の手紙/コラム

阪神大和(2017年8月11日撮影)

<酒井俊作記者の旬なハナシ!>

 もう12年も前になる。

 05年秋、久しぶりに生まれ故郷の鹿児島に行った。

 阪神が高校生ドラフト4位で指名した新人選手の仮契約取材だ。鹿児島市内を一望できる城山のホテルで、前途洋々の会見に接する。寄り添うように見守っていた親にも話を聞いた。幼かった日々に始まり、寮生活だった高校時代は家族の誕生日などに手紙を送り、80通近くに達したということ…。

 その数日後だった。大阪の自宅に芋焼酎の一升瓶が届いた。丁寧で力強くペンを走らせた自筆の手紙も添えられていた。取材の御礼に続いて、このような内容だった。「3年間はしっかりファームで鍛えて、1軍で活躍するための土台を作って欲しいものです」。父が息子に注ぐ、愛情にあふれた内容だった。遊撃を守る大和を見ていると、いつも、この手紙を思い出す。

 先週末は横浜にいた。大和の真骨頂に触れたのは、12日のDeNA戦だ。スコアは1-1で、8回裏、阪神は絶体絶命の大ピンチを迎えていた。マウンドには4番手の桑原がいた。2死二、三塁で梶谷と勝負。一打で勝ち越され、たちまち敗色濃厚になる場面だ。1球目ファウル直後、二塁西岡が歩み寄る。敬遠四球になり、2死満塁。小兵の柴田が打席に向かう。その時だった。遊撃から大和が駆け寄り、桑原とわずか言葉を交わして定位置に戻る。

 内野手が投手のもとへ向かうのはよくある光景だ。だけど、西岡が話し掛けてからわずか4球後、再び内野手がマウンドに向かうのは、そんなに見ない。あの時を、大和はこう言った。

 「自分は、ここかなと思ったので行きました。満塁になってね。マウンドで、ひとりでいるのって、孤独じゃないですか」

 その言葉には、プレーヤーとしての心根が表れていた。ピンチは、俺らが守ってやる-。普段、感情をあらわにすることはあまりないが、そんな気概が、さりげないしぐさに出ていた。

 同じ遊撃で名手として鳴らした内野守備走塁コーチの久慈は、別のシーンにも感心していた。「あの態勢からドンピシャのストライクを(二塁に)投げた。久しぶりに、いいゲッツーを見たな」。11日DeNA戦の7回だ。1死一塁で代打後藤の強烈なライナーはショートバウンドになって三遊間を襲う。難しい打球を、しかし、ショート大和が身をていして捕り、二塁へ送球。鮮やかな併殺を完成させた。久慈は続ける。

 「今年、ゲッツーが少ないだろう。なかなか二遊間を固定できなかったから」

 今季、遊撃レギュラーの最有力だった北條が結果を残せなかった。ルーキーの糸原も故障離脱。巡ってきたチャンスで奮闘するのが大和だ。久慈が指摘するように、阪神の併殺成功数は15日現在で81個。1位中日の108個との差は大きく、リーグ5位だ。それだけに、大和の正確無比な守備力は存在感を際立たせる。

 余談だが、今季は「球団史上初」の冠がつく可能性が残っている。阪神のゴールデングラブ賞受賞者で、内外野で2度、獲得した選手はいない。球界を見渡しても、高田繁、西村徳文、稲葉篤紀の3人だけ。大和は14年に外野で受賞し、遊撃で戴冠なら快挙だろう。ただ、現時点ではダークホースに過ぎない。巨人坂本、中日京田が不動のレギュラーで有力。大和は、まだ36試合出場(15日現在)にとどまる。同賞の資格条件は71試合以上。残り39試合中、35試合出場しなければいけないが、名手の誉れ高い男にもチャンスはある。

 7月下旬以降、スタメンに定着し、いまや、攻守で欠かせない存在だ。スーパーサブだった立場から、再び定位置奪取に目の色を変える。「(遊撃は)楽しいですけど、いっぱい、いっぱいです。でも周りが見えているのは、いいことですね」。11月には30歳になる中堅クラスの意地である。(敬称略)