DeNA3年目飯塚プロ1勝「後半戦の救世主に」

中日対DeNA プロ初勝利の飯塚(左)はウイニングボールを手にラミレス監督の祝福に笑顔を見せる(撮影・前岡正明)

<中日3-6DeNA>◇30日◇ナゴヤドーム

 プロ3年目のDeNA飯塚悟史投手(20)が、6度目の先発マウンドでプロ初勝利を手にした。5回2/3を3安打1失点。決め球のフォークを武器に、中日打線を封じた。マウンドが高く、フィールドも広いナゴヤドームでプロ初白星を手にしたのは、DeNAでは浜口と平良に続いて今季3人目。敵地をまたしても味方につけ、6-3で逃げ切った。

 手応えと悔しさが入り交じった。飯塚は6回2死、大島を四球で歩かせたところで交代を告げられた。「6回の任されたイニングを投げられなかったことが、一番悔しい」。それでも1失点で勝利投手の権利を得ての降板。一時2点差まで迫られながら、最後は逃げ切り、プロ初白星を手にした。ヒーローインタビューを終えロッカールームに戻ると、筒香の愛用するスピーカーから、日本文理高の校歌が流れていた。手拍子に合わせて歌いきり、勝利をかみしめた。

 6度目の挑戦で、状態は決して良くなかった。直球は最速140キロにとどまり、デビュー戦に比べ5キロ遅かった。「その中で腕は振れていたから打ち損じにつながった」と、逃げなかった。こだわりの内角をしっかりと突き、要所で決め球のフォークを投げる。6回に京田にソロアーチを浴びても、気落ちすることなく次の亀沢から、そのフォークで空振り三振を奪った。

 原点の場所で何度も歌った校歌は今でも覚えている。フォークを習得したのも、日本文理高2年だった。センバツ直前の2月、OBで元ヤクルト本間忠氏が臨時コーチに就任し「どんな投手になりたいんだ?」と問われ「勝てる投手になりたいです」と答え、二人三脚の日々が始まった。球数を減らすために、投球の幅を広げる策の1つが、フォークの習得だった。

 マスターは容易ではなかったが、本間氏は「実は僕もフォークが苦手だった。だから『抜けやすい指の角度で調整しなさい』と言ったんです」。経験を踏まえた指導を、根気よく続けた。愛弟子は、新たな武器を得てプロへの扉を開いた。技術だけでなく「打たれても表情に出すな」と、マウンドでの立ち姿も教わった。だからこの試合、調子は良くなくても、20歳にして動じない。勲章のウイニングボールは右後ろポケットに入れて、飯塚は言った。「自分が後半戦の救世主になれるようにしたい」。2位浮上を狙うチームに、頼もしい若き戦力が加わった。【栗田成芳】

 <飯塚悟史(いいづか・さとし)アラカルト>

 ◆生まれ 1996年(平8)10月11日生まれ。新潟県上越市出身。

 ◆中学全国準V 直江津中では3年秋にKボール選抜入りし全国準V。

 ◆甲子園4強 日本文理(新潟)では2年夏、3年春夏と3季連続甲子園出場。2年秋の明治神宮大会準優勝。3年夏の甲子園はベスト4に進出し、全5戦完投。

 ◆U18代表 3年夏はU18日本代表にも選出され、同アジア選手権に出場。

 ◆14年ドラフト7位 14年のドラフト7位でDeNAに入団。

 ◆サイズなど 188センチ、85キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸520万円。