阪神生え抜き偉業の藤田平氏「必然の結果」談話集

キャプテンの座を譲った福留から花束を受け取る鳥谷(左)(撮影・上田博志)

<阪神8-3DeNA>◇8日◇甲子園

 阪神鳥谷敬内野手(36)が8日、DeNA18回戦(甲子園)でプロ野球史上50人目の通算2000安打を達成した。2回1死一塁、DeNA井納から右中間を破る二塁打を放った。14年目での到達は日本人ではプロ野球最速タイ。

 藤田平氏(83年に球団初の2000安打) 入団当時から左方向に打つ技術は高かった。不振に苦しんだ昨年は引っ張る意識が強すぎて、打撃全体が崩れていった。でも今年は一昨年までの意識で打席に入れているから、必然の結果として打率が残せている。

 吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家) 新人だった1年目の沖縄キャンプで指導した際は未熟でした。二塁寄りには強いが、三遊間方向に難があった。それを克服し、自らカベを乗り越えた。遊撃の守備だけなら私の方がうまいだろうが、攻守の総合力では、鳥谷が「阪神でNO・1の内野手」にのし上がったと言っても過言ではない。

 中西太氏(日刊スポーツ評論家) 打って、守って、走れて、そして、選べる。今年はレギュラーポジションから三塁転向で危機感にさらされた。グラブさばきはいいが、最初は打球の強弱に戸惑っていたが、それに慣れてくると打ちだした。

 真弓明信氏(日刊スポーツ評論家) 阪神監督として3シーズン見てきたが、あれほど練習するプレーヤーは珍しかった。バッティングには好不調の波がある。選手を起用する方は、休息を勧めたりしがちだが、本人はそれを受け入れなかった。

 阪神掛布2軍監督 区切りとして大きいけど、それを通過点と思って、さらっといってほしい。そういう鳥谷であってほしいね。チームのリーダーとして、優勝させるんだという思いでヒットを積み重ねてきたと思う。僕も現役時代、そういう思いで、ホームランを積み重ねましたから。

 岡田彰布氏(鳥谷1年目の04年から5年間、監督として指導) 監督時に獲得した鳥谷は、守備を見込んだものだった。左手での押し込みが強く、差し込まれてもヒットにできる特性を長年生かし続けたのが、記録に結びついたのだろう。

 中西清起氏(04~15年阪神投手コーチ、日刊スポーツ評論家) コーチ時代は遊撃の守備で助けられました。「僕がベンチで帽子のつばを触ったら、投手のところに間を取りに行ってくれ」。こんなやりとりをしたこともあります。達成間近の1000四球も、過去14人しかいないんでしょ? 球を手元まで呼び込めるからボールを見極められる。

 楽天星野仙一球団副会長 鳥谷とは入れ違いとなり、一緒に戦う機会はなかった。阪神は伝統あるチームだが重圧も大きい。タフな心身が欠かせない。若手が出てきて主に三塁を守っているが「何くそ」の気持ちを内に秘めて復調した部分に“らしさ”を感じる。

 阪神福留(昨季、不振を極めた鳥谷の負担を軽減するためにキャプテンを譲り受けた。ベンチから花束を携えて二塁へダッシュ)目の前で見ることができて幸せ。

 阪神坂井信也オーナー 甲子園のグラウンドには、鳥谷君の笑顔が似合います。これからもさらなる高みを目指して欲しい。

 ロッテ井口 初めて会ったのは、鳥谷が大学2年の時でした。ダイエーのキャンプに参加してきました。その後、長いこと一緒に自主トレをやりましたが、とにかく、自分にストイックで、妥協しないし、研究熱心。ただ、練習を離れると、よくしゃべるし、ひょうきん。食事会でも盛り上げ役です。メジャーに行くか悩んでいた時も、しょっちゅう話はしました。僕から言ったのは「チャレンジするタイミングがあれば行ってもいいんじゃないか」ということ。メジャーでも十分やれたと思います。体が強いのが一番ですから。

 巨人高橋監督 同じ時代を戦ってきた選手。2000本を打ったこともすごいと思いますが、何より体が強くて試合に出続けられているのが一番かな。

 巨人阿部(今季自身も2000安打を達成)阪神、巨人で切磋琢磨(せっさたくま)してやってきた。まだまだ、これからもお互いに頑張っていきたい。

 広島新井(08~14年に阪神で同僚)ショートという大変なポジションでずっと出続けて積み上げた数字。本当にすごい。

 独立リーグ兵庫・井川慶投手(打てない時に)ファンからの罵声とかにも耐え続けてきたのも見ているので、本当にうれしいです。自分自身もオリックス時代に1、2本貢献しましたね。