スピードスター巨人片岡引退「最後にもう1回…」

14年9月、セ・リーグ優勝を決め、巨人片岡(右)は原辰徳監督と感無量の表情でがっちり握手を交わす

 巨人片岡治大内野手(34)が現役引退を決断したことが9月30日、分かった。ここ数年は太もも、ふくらはぎ、膝の故障に苦しみながらも、不屈の闘志で復活。今季も開幕から度重なるケガに悩まされ、懸命にリハビリを続けたが、プロ13年目で初めて1軍出場はなかった。西武時代には4年連続盗塁王を獲得するなど、足で勝負した男は新たなステージに進むことを決めた。

 幾度となく、足で勝利を引き寄せた平成のスピードスターが、ユニホームを脱ぐ決断を下した。片岡はプロ13年目の今季、膝など度重なるケガに苦しみ、自身初めて1軍出場がゼロ。現在も3軍で懸命にリハビリを続けるが、体は限界を超えた。

 片岡 もう1度、1軍のグラウンドに立ちたいと思ってやってきたので、悔しいです。応援してくれた方に恩返しできなかったことが心残りです。最後にもう1回、走りたかった。

 鮮やかな走塁で、ファンを魅了した。今なお、選手、ファンに語り継がれる神走塁がある。西武時代の08年、巨人との日本シリーズ第7戦。1点を追う8回無死から死球で出塁し、二盗に成功。犠打で三進後、絶妙なスタートで内野ゴロの間に生還し、日本一に導いた。07年からは4年連続で盗塁王を獲得した。

 記憶にも、記録にも残る活躍で球史に名を刻んだ。08年に最多安打、ベストナインを受賞。10年のオールスターではMVPも獲得した。09年のWBCでは内野のユーティリティー選手として、世界一に貢献。球界屈指のイケメンでも注目され、男女問わずに多くのファンからも愛された。

 左肩、両手首と手術を経験したのは、全力プレーの代償だった。守備でのダイビングキャッチに、全力疾走、フルスイングは片岡の代名詞。常にチームの勝利を最優先し、故障ギリギリのプレーをグラウンドで続けた。「それをやめれば、自分の野球じゃないですから」。自らのポリシーを貫き、現役生活に終止符を打った。

 仲間に愛され、片岡も周囲の支えに感謝した。「いろんな出会いがあって、いい野球人生が送れた。日本一にも、世界一にもなれた。監督、コーチ、選手に感謝の気持ちでいっぱい。そして、両親、家族にも感謝を伝えたいです」と思いを込めた。今後は未定だが、大好きな野球への思いは変わらず、第2の人生をスタートさせる。

 ◆片岡治大(かたおか・やすゆき)1983年(昭58)2月17日、千葉県生まれ。宇都宮学園(現文星芸大付)から東京ガスを経て04年ドラフト3巡目で西武入団。07年から4年連続盗塁王となり、08~10年に史上5人目の3年連続50盗塁をマーク。08年には最多安打のタイトルも獲得し、ベストナインに選ばれた。12年オフに登録名を「易之」から「治大」に変更。13年オフにFAで巨人へ移籍。176センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸6000万円。