大谷翔平ハム5年間「間違いではなかった」一問一答

日本記者クラブでメジャーリーグ挑戦を表明し笑顔を見せる大谷(撮影・野上伸悟)

 日本ハム大谷翔平投手(23)が、投打二刀流で世界の頂点に立つ、壮大な夢を語った。11日、東京都内の日本記者クラブで会見し、今オフにポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦する意向を正式に表明した。

 冒頭あいさつ 

 大谷 昨日(10日)、球団にポスティングによるメジャー移籍をしたいという気持ちを自分の口から伝えまして、容認と温かい言葉をいただきました。約5年間ファイターズでお世話になりました。自分が(投打)2つやってきたことが、球団にとって、また日本球界にとって、本当にプラスなのかなと思ったときもありましたけど、入団当初から応援してくださったファンの方や、温かく指導してくださったコーチの方々、チームメートのみなさん、球団の方々、そして栗山監督、いろんな人に支えられて、1日1日大切にしながら前に進めたと思っています。本当にファイターズに入って良かったなと思っています。きっとそれは一生思うんだろうなと思う。それと、質問に移る前に、今日という日に限って、ちょっと風邪をひいてしまってノドの調子が悪いので、聞き苦しい部分があるかもしれないけど、すいません(苦笑い)。

 -今季はケガもあった

 大谷 ケガが原因で満足にプレーできなかったというのは自分としても悔しかった。連覇を目指して頑張っていく中で、迷惑をかけた部分がたくさんあった。申し訳なかったと思っています。

 -対戦したい選手は

 大谷 (自分が)実名を挙げていいほどの選手ではないと思っています。まずは自分がその位置まで、レベルを上げていくのが大前提だと思っていますし、まだ1度も経験していないことに対して言うのはおこがましい。

 -相談した先輩

 大谷 いろんな方にお世話になりました。ダルビッシュさんとは一緒にトレーニングさせていただきましたし(13年にジャイアンツでプレーした日本ハムの)田中賢介さんに関しては何年も一緒にプレーさせていただき、(メジャーの)話もしていただけることもあった。代理人が決まった際には(代理人が同じでメッツを自由契約になった)青木さんからも連絡をいただきました。

 -栗山監督に対して

 大谷 すべての面において感謝しています。野球チームの監督というところを超えて、感謝している部分も多い。おそらく栗山監督じゃなかったら、ファイターズにもお世話になっていなかったのかなと思う部分もある。自分にとっては、すごく大きい影響がそこにはあった。これから先もご指導していただけることがあると思っているので、ぜひ、いろんな話をしたいなと思っています。

 -米国ではその監督やトレーナーがいなくなる

 大谷 寂しい部分はもちろんあります。ただ、そこに頼ってばかりでは違うのかなと。そこも含めて挑戦なのかなと思っています。

 -20年には東京五輪がある

 大谷 (今年のWBCでは)声をかけていただけて光栄、ありがたかったです。出られなくて申し訳なかった。数年後、僕がどういう選手になっているか、自分でも分からない。また選んでいただけるくらいの実力を、もっと磨いていきたい。今よりも、もっともっと前に進んでいけたらいいなと思っています。

 -今日のネクタイを選んだ理由

 大谷 ご想像にお任せします(笑い)。ファイターズに対して感謝していますので、ぜひこの色をつけたいなと思いました。

 -1度は高校から直接メジャー挑戦を表明したが、日本ハムに入団を決めた。いま、その決断は正しかったと思うか

 大谷 昨日(10日)の球団との会談でも、そういう話はあって、球団側としては決して遠回りではなかったと思っていると言葉がありました。僕もそう思っている。間違いではなかったと思っています。

 -応援歌の歌詞にもある「夢」について

 大谷 入団したときから、(メジャーへの)夢があるというのはファンの方々もおそらく知っていたと思う。そんな中でも応援してもらっていたことは本当にありがたい。北海道のファンの方だけではなくて、どこの球場に行っても、応援しているよと言っていただけることがあった。うれしかったです。その人たちのためにも、もっともっといいプレー見せたいなと思っています。

 -日本で印象に残っている1球1打

 大谷 左飛でしたけど、やっぱり(昨年)リーグ優勝したときはうれしかったですね。最後まで投げ抜くということは考えず、最初から飛ばしていった結果、最後にマウンドにいることができた。どの1球よりも価値があったと思う。打席に関しては(13年開幕戦の)プロ入り最初の打席。(当時西武、現在楽天の)岸さんだったんですけど、見逃し三振した。すごいなと思って見送った記憶が今でもある。鮮明に覚えています。