新潟ドラフト指名の大竹、故郷からNPB入り目指す

故郷の球団でもあるBC新潟への入団が決まって喜ぶ大竹

 Uターン入団でNPB入りへのチャンスをつかむ。ルートインBCリーグのドラフト会議が24日に行われ、新潟は5選手を指名した。出身選手を対象とした地元枠では、五泉市出身の大竹樹希哉投手(19=岩手・一関学院)を指名。昨年の岩手NO・1左腕として、甲子園まであと1勝のところで、2度までも涙をのんだ。5年ぶりに故郷に戻り、地元球団から日本プロ野球(NPB)入りを目指す。

 故郷で一旗揚げて、「非運の男」を返上する。大竹はこの日、地元枠で新潟から最初に名前を呼ばれた。「プロ(NPB)に行きたい。BCがプロに一番近いと思ったからうれしいです」。新潟は今オフ、開幕投手を務めた知念広弥(27)が引退し、育成6位で渡辺雄大(26)がソフトバンク入り。主力の左腕2人がチームを去り、左投手の補強は急務だった。

 大竹は5日に行われた合同トライアウトに参加。加藤博人監督(48)ら新潟首脳陣の前で入団を猛アピールした。2次の実戦テストでは2つの三ゴロと2三振を奪い、打者4人をパーフェクトに抑えた。最速は137キロ。「自分の力は出せたと思います」と満足し、「新潟でプレーできたら一番ですが、入れればどこでもいいです」とドラフト指名を待っていた。すでに埼玉のアパートを引き払い、退路を断ってBC一本に絞っていた。

 岩手を代表する左腕だった。春夏8度の甲子園出場を誇る強豪で2年秋から、絶対エースに君臨した。2年秋の東北大会では聖光学院(福島)東北(宮城)を相手に連続1失点完投勝利を収め、4強入り。3年夏は8回裏に、甲子園で2勝を挙げた盛岡大付に先制点を許し、0-1で惜敗した。「あと1勝」で2度も甲子園に届かなかった男は今年、クラブチームのYGSダイヤモンズ(山梨)でもあと1勝のところで、全日本クラブ選手権(メットライフドーム)への出場を逃した。

 「高校からプロに行きたいと思っていたが、ケガがあったので志望届は出しませんでした」。実は3年時に、慢性的な左ふくらはぎ痛を抱えながらプレー。痛み止めを服用しながら、ほぼ1人でマウンドを守った。130キロ台後半の直球と、縦横2種類のスライダーとチェンジアップを駆使してカウントを整えることができ、マウンド度胸も売りだ。

 新潟では、再び後輩との息の合ったバッテリーが実現する。小中高と常に正妻マスクをかぶった斎藤優乃捕手(18=一関学院)は一足先に、特別合格選手として新潟入団が内定していた。大竹は「新潟を離れ、進路でも好きにさせてもらった親には感謝しています」。凱旋(がいせん)マウンドで成長した姿を見せ、NPBのスカウトにもアピールする。【中島正好】

 ◆大竹樹希哉(おおたけ・じゅきや)1998年(平10)6月23日、五泉市生まれ。小学1年で野球を始め、小6時には五泉フェニックスでマクドナルド杯に出場。五泉中では新潟西シニアでプレーし、春の全国選抜に出場。一関学院では1年春にベンチ入り。2年秋から背番号1を背負い、3年春は岩手大会で優勝した。打撃でも新チームからしばらく4番を打った。172センチ、74キロ。左投げ左打ち。血液型A。