大和はなぜDeNAへ…「覚悟の上」移籍の真相語る

自ら厳しい道のりを選択しDeNAへFA移籍した大和

 もっと成長したかった-。今オフ阪神からDeNAにFA移籍した大和内野手(30)が30日、日刊スポーツの直撃インタビューで「移籍の真相」を明かした。懸命に残留要請を続けた阪神、オリックスと3球団が争奪戦を繰り広げる中、なぜ新天地を選んだのか。いち野球人としての覚悟が、「ギャンブル」だという挑戦を後押しした。【取材・構成=佐井陽介】

 大和はなぜDeNAを選んだのか。条件面で言えば、4年総額4億5000万円前後を提示した虎が抜けていた。オリックスはレギュラー級の立場を保証していたにもかかわらず、だ。

 「めちゃくちゃ悩みました。自分の実力をある程度分かってもらえているという意味では、残った方が楽だと分かっていたし。でも、そこに収まりたくはなかった。今も怖さしかないですよ。先のことを考えず、今だけを見て行動した感じですから。これでダメなら現役生活が終わってしまうのは分かっている。でも勝負したかったんです。残るのと出るのと、どちらが成長できるかと考えた時、最後はDeNAだと。知らない土地に行って、自分のレベルを知らない監督、コーチ陣にまっさらな状態で見てもらう。もっと成長するためにはそっちを選んだ方がいいのかな、と」

 DeNAの遊撃には今季全試合出場の倉本、二塁には急成長中の24歳柴田がいる。阪神、オリックスを含めた3球団の中でもっとも厳しい道だと理解した上での決断だった。

 「もちろん、ゼロからレギュラー争いするつもりです。『レギュラー確約』なんて、もともと自分の中ではないと思っていますし。最初からそこにこだわりはありませんでした。今年の最後も不調とかケガの選手が出た中で、結果を出せば使ってもらえましたしね。最後は一番勝負したい、と思える場所を選びました」

 FA宣言。初めから移籍ありきではなかったと振り返る。今でも阪神退団という決断には「自分が一番驚いています」と言う。

 「実はFA宣言した後も、残る気持ちの方が圧倒的に多かったんです。素直に周りの評価を聞いてみたかっただけだったので。今でも思いますよ。なぜ、こんなに自分を追い込むんだろう、人生ギャンブルしているんだろうって。でも、もう1度、自分の可能性を試してみたかったんです。いちかバチか、だとしても…。現役生活を終えてから、もっとできた、と思うのが嫌だったのかもしれません。正直この2、3年ぐらい、そういう自分がいた。ゲームに出なくなって、もういいやって。でも今年久しぶりにあれだけスタメンで出させてもらって、やっぱり野球は楽しいなと思った。もしダメでも試合に出ている以上は言い訳できない。そういう毎日があったから、今回の選択ができたのかなと思います。今でも新天地でプレーすることに怖さはあります。ただ、同時に楽しみでもありますね」

 18年の目標は全試合出場になる。

 「遊撃でも二塁でも、どちらでもいい。外野に行けと言われたら行く。ゲームに出たいというスタンスは変わりません。全試合に出たことがないから、やってみたい。なんでもかんでも、やってみたいという気持ちが強いから出たんでしょうね。めちゃくちゃ冒険ですよね。でも失敗しても自分が選んだ道。あえて厳しい道のりを選んだんだから、覚悟を決めて頑張りたいと思います」

 12年間成長させてくれた阪神、大声援を送り続けてくれた虎党への感謝の気持ちは尽きない。左肩亜脱臼で長期離脱した11年に贈られたファンからの寄せ書き色紙、約2000羽の折り鶴で「大和」の2文字を作ってもらった作品は今も宝物にしている。

 「阪神ではめちゃくちゃいい思いをさせてもらったので。2軍で全然試合に出ていない選手でも熱心に応援してもらえるし、環境も何一つ不便はない。すごく特別な球団だと思う。阪神だから自分もここまで来られた。お世話になった監督、コーチ、先輩、後輩、ファンの皆さんには感謝しています。入った時は高卒ドラフトの4番目。一番下のスタートから、ここまでやらせてもらえたわけですから。入団時はFAの権利を取れるなんて夢にも思っていなかった。現役で10年できるとも思っていなかった。まずは3年、次は5年、ようやく10年、それで今。ずっとFA選手なんて雲の上の存在だと思っていたのに…。ここまで育ててもらって、本当に感謝しかありません」

 今、阪神時代でもっとも記憶に残っているシーンはサヨナラ安打でもなく、華麗な守備を披露した時でもなく、不思議と2軍時代に叱られた1日だという。

 「一番の思い出は…なぜか鳴尾浜の時になりますね。2年目の夏、自分のエラーで試合に負けたことがあって。その時、内野守備走塁コーチだった山脇さんに怒られてヘコんだ後、土砂降りのグラウンドで2人だけで1時間30分ノックを受け続けたことですね。『守備で入ってきた人間が、そういうミスしたらダメだ』と怒られて。それでノックが終わった後、『今の時代、守備だけでも1億円もらえる時代になってきているんだから頑張れ』って。あの日がなかったら今の僕はなかったと思います」

 思い出は尽きない。だから阪神戦に一抹の不安もあると苦笑いする。「急に敵と言われてもね…。情が出ないようにしないといけませんね」。たとえ虎党から強烈なヤジを浴びたとしても「それは仕方がない。自分は出て行った人間だから。それは覚悟の上です」。18年はDeNAの一員として、がむしゃらに居場所を奪いにかかる。