ソフトバンク1位吉住直撃「びっくりした」指名語る

筋トレでハードに追い込む吉住

 あけましておめでとうございます! 日刊スポーツ東北版が毎週木曜日に1ページ増で展開している「みちのくプラス!!」は今年も健在です。新年1回目は鶴岡東(山形)からソフトバンクにドラフト1位指名された吉住晴斗投手(17)の新春インタビューです。無限の可能性を秘めた原石の意気込みとともに、隠された一面にも直撃します。【取材・構成=高橋洋平】

 昨年のドラフトで起こった最大のサプライズと言っていいだろう。その年の日本一に輝くソフトバンクから吉住が“外れ外れ外れ”とはいえ、ドラフト1位で指名された。吉住本人や鶴岡東の佐藤俊監督(46)、担当の作山和英スカウト(48)までが、腰を抜かすほど驚いた。

 吉住 指名順位は下位か、育成だと思っていた。自分でもびっくり。まさか1位で指名されるとは…。

 吉住は新入団選手が全員参加する昨年12月6日の施設見学に欠席している。当日の庄内空港発、羽田空港行きの飛行機が悪天候で欠航。予定を変更して新潟まで特急に乗り、東京まで新幹線で移動した。羽田から福岡に着いたのは当日の夜9時ぐらいだった。

 吉住 かなり焦った。慌てて担当の作山スカウトに電話した。当日は午後1時集合で、12時半ぐらいに着く予定だった。飛行機が飛ばなくて、びっくりした。波乱のスタートでした(苦笑い)。

 翌7日の新入団記者会見では、同期たちと初めて対面した。3位の増田珠内野手(18=横浜)や5位の田浦文丸投手(18=秀岳館)の高校日本代表コンビを差し置いての1位指名に、期待の高さがうかがえる。背番号は26に決まった。

 吉住 同期は知られている人ばっかり。この人たちと一緒にやっていくんだなと。背番号は球団が決めた。自分の前には過去に、松中さん(信彦)が付けていた。そういう人たちに負けないようにと思った。

 新入団会見では、王貞治会長(77)と工藤公康監督(54)との3ショットが実現。固い握手を交わした。

 吉住 2人は今までテレビで見る存在だった。同じ場所にいるのが、すごいなと。これがプロ野球かと思った。

 ソフトバンクが吉住を高く評価したのは、類いまれな身体能力にあった。山形県では09年から未来の五輪選手育成のために「YAMAGATAドリームキッズ」を立ち上げた。吉住はその1期生に当たる。小4から中3まで五輪種目のバレーボールやスキー、レスリングなど、さまざまな種目に取り組むが、吉住は中2になった時点で野球専念を理由に、同組織を脱退した。

 吉住 その当時は野球が五輪種目じゃなかった。いろんなスポーツはやったけど、野球がなかったのでやめた。

 選出された小4当時には、立ち幅跳びで2メートル40を計測。全国の同学年男子の平均1メートル50を約1メートルも上回る数値だった。185センチ、83キロの体格を誇る現在でも50メートル走は6秒0を維持する。そんな、高い運動能力を誇る吉住はバレーボールやバスケットボールですぐに頭角を現したが、野球では苦労した。当時、母の真由美さんには「野球が一番苦手なスポーツかも」と弱音を吐いている。

 吉住 投げるそのものはできるけど、バットを持って打つのが苦手。道具を使うのが、あまりうまくなかった。自分の体で直接やるバスケとバレーは得意でも、バットとかラケットを扱うのは不得意。だから打撃も良くなかったのかも。

 現在は筋トレを中心に、プロ仕様の体づくりを行っている。読書好きで、今でも本を読んで独学の研究を続けている。この春は阪神藤川の本を読んで直球の握りをまねし、今夏は自己最速を2キロ更新する151キロをたたき出した。

 吉住 本を読んだりするのは好き。固定概念なく、取り入れられるので。

 両親の英則さん、真由美さんが調理師免許を持っている関係で、吉住は中学までスイーツを自分でつくるほどの腕前だった。

 吉住 スイーツ職人? そんなレベルじゃないですよ(笑い)。子供の頃、お菓子が家になかった。両親が料理人だったので材料は家にあって、親の影響で本を見ながら、クッキーやプリンとかはつくった。中学まではやったけど、今は忙しくてしてない。投手として指をけがしては駄目だし、入団してからは寮なんで自炊はしません。

 ソフトバンクの分厚い投手陣に加わる。吉住は現実的な目標を設定した。焦らず自分のペースで体をつくって、早期1軍に備える。

 吉住 7日から福岡に行きます。飛行機が飛べば(笑い)。乗り遅れないようにしないと。1、2年目は体づくり、3年目からは1軍で投げたい。

 鶴岡ではソフトバンクの地上波での放送は厳しい。だから楽天戦での凱旋(がいせん)登板が地元への最大の恩返しになる。

 吉住 ソフトバンクの放送はこっち(鶴岡)ではないので、仙台に戻ってきたい。楽天戦で帰ってくるのが一番、鶴岡の人たちに見てもらえる。

 入団交渉時には震える右手で「160キロ」としたためた。新しくつくった自分のサインは、スラスラと書いてみせた。

 吉住 文字だと考えないといけないけど、サインは書くだけでいいですね(笑い)。

<鶴岡東・佐藤監督が感じた可能性>

 吉住のドラフト1位指名は、佐藤監督の眼力なくして実現しなかった。視察に訪れた鶴岡二中で外野手だった吉住の走る姿をひと目見て、無限の可能性を感じ取った。高校入学後から本格的に投手に転向させ、1年夏の甲子園帰りから本格的に練習させた。同年秋の県大会はメンバー外。ひたすら基礎体力をつけ、秋の東北大会で初のベンチ入り。青森山田との1回戦を勝てば登板機会があったが、チームは敗戦。1年時には公式戦で投げる機会がなかったが、佐藤監督は「それが逆に良かった」という。

 佐藤監督 チームとして焦らず投げさせなかったことで、吉住の力が熟成された。結果的に力をためることができた。

 翌年春に県大会デビュー。いきなり日大山形との2回戦で145キロをたたき出し、同年夏の甲子園出場に貢献した。同監督は「自分はたまたま吉住に恵まれただけ。ドラフト1位として頑張ってほしい」と愛弟子の旅立ちを祝福した。