楽天平石ヘッド、日本一になって星野さんに報告を

昨年1月の楽天スタッフミーティングで。左から平石2軍監督、星野副会長、梨田監督(肩書は当時)

 楽天が今日1日、沖縄・久米島キャンプをスタートさせた。今季、2軍監督から配置転換となった平石洋介ヘッド兼1軍打撃コーチ(37)に、その意気込みを聞いた。先月4日には星野仙一球団副会長が70歳で死去。13年には監督と1軍打撃コーチ補佐の関係で球団初の日本一を成し遂げた。今季は5年ぶりに頂点へ返り咲き、亡き闘将に2度目の日本一を報告する。

 視線の先に、日本一があった。今年の12球団で最年少参謀役となる平石ヘッド兼1軍打撃コーチは、気持ちを新たにしていた。

 平石ヘッド 優勝したいよ。選手としては優勝できなかったけど、打撃コーチ補佐として日本一を経験できた。こんな幸せなことはない。やっぱり優勝したいし、日本一になりたい。プロとして、優勝は甘くないのは分かっている。でも、そこを勝ち取らないと。

 より強く、日本一を再認識させてくれた人がいた。先月に亡くなった星野氏だ。選手で1年、コーチとして6年。計7年もの間、闘将とともに歩んできた。

 平石ヘッド 13年は1軍で一緒にやらせてもらって、かわいがってくれた。他の人に比べて自分は出会って短い方だけど、すごく良くしてくれたし、家族ぐるみでお世話になった。

 今も現実を受け止められない。先月9日のコーチ会議の前日8日には、本拠楽天生命パーク宮城の献花台に極秘で家族と参列していた。

 平石ヘッド 自分の中では今でも星野さんは生きているというか。電話したら出てくれるんじゃないかと。悲しいことなんやけど、現実をのみ込めてないから、涙も出てこない。本人の意向もあって密葬だったし、星野さんの亡くなった姿を見ていない。本当に実感が湧いてない。スイッチ入れるのに時間がかかるけど、いつまでも下を向いてても星野さんに怒られる。

 2度目の日本一が最大の供養となる。昨年は2軍から1軍の戦い方を見て、足りないポイントを客観的に分析していた。

 平石ヘッド 1軍の監督とは立場が違うけど、2軍監督として2年間は常に考えることがあった。経験しないと分からないことだし、貴重な経験だった。1軍の試合は第三者の立場で見ていたし、外からだったら冷静に見ることができる。

 昨年のチームには、走塁面に改善の余地があった。総安打数は1位西武と比べて43本差の2位だったが、総得点は3位の585点。同1位の西武との得点差は105点差もある。また、西武は129盗塁で1位に対し、楽天はわずか42盗塁で5位に沈んだ。

 平石ヘッド 走塁面を鍛えないと。梨田監督とも共通で認識している。もともと2軍では走塁に関しての意識付けをやってきた。足が速くても盗塁を失敗する選手もいるし、逆のパターンもある。例えばウィーラーが盗塁を決める、それは投球モーションを盗んでいるから。盗塁は足の速さだけじゃない。

 盗塁はあくまで1つの指標に過ぎない。記録に残らなくても、好走塁でもっと得点は稼げるはずだ。

 平石ヘッド 楽天に隙を見せると、きっちり付け込んでくるなと、相手が思ってくれるとそれだけでプラスになる。例えば、シングルヒット4本で1点を取る野球じゃしんどいでしょ。ヒット0本でも点を取りにいく野球が理想。走塁を抜かずにやるのは大変だけど、チーム全体でやれれば、脅威となる。

 一方の投手陣には自信を持っていた。昨年は西武から岸がFA宣言で加入し、則本、美馬と3本柱を形成。当然、今年も働いてもらうのが大前提だ。

 平石ヘッド ウチの売りは投手を含めた守り。投手の駒はそろっている。無駄な点を与えたら勝てない。

 去年は3本柱に続く存在を確立しきれなかった。1軍で先発しては即抹消することもあった。4人目以降が固定できれば、ローテは盤石なものになる。

 平石ヘッド ローテの6人固定ができるか分からないけど、1軍で投げて即抹消だと投手の調整は難しい。できるだけローテは固定したい。2軍から見ると先発の数はそろっている。4人目以降の候補には辛島や塩見、安楽、藤平、古川、森などがいるし、今年は2年目の池田が面白い。

 沖縄でのキャンプを終えると、2月末からオープン戦が始まり、3月30日にロッテとの開幕戦を迎える。新任ヘッドコーチとして、監督と選手の間に入って潤滑油となり、チームを頂点に導いてみせる。

 平石ヘッド 基本は選手、コーチを含めて全員が同じ方向を向かないといけない。監督に何でも考えさせたり、監督の指示が出ないと動けない指示待ちじゃ駄目。試合をやるのは選手たち。しっかりコミュニケーションをとって、選手が思いきって迷わずやれる環境をつくっていきたい。【取材・構成=高橋洋平】

 ◆平石洋介(ひらいし・ようすけ)1980年(昭55)4月23日、大分県生まれ。PL学園では、横浜と延長17回の死闘を繰り広げた。同大-トヨタ自動車を経て、04年のドラフト7位で楽天入りし、11年に現役引退。通算で122試合に出場し37安打、打率2割1分5厘。12年から各コーチや2軍監督を歴任し、今季はヘッド兼1軍打撃コーチに就任。175センチ、75キロ。左投げ左打ち。