倉敷の街を歩けば星野さんの匂いがした/記者が散策

星野監督 倉敷地図

 楽天の監督、副会長を歴任し、1月4日に70歳で死去した星野仙一氏のふるさとである岡山・倉敷での3連戦が終わった。悲しみに包まれたのは、献花台が設けられたマスカットスタジアムだけではない。市内や周辺のあちこちに足跡があり、別れを惜しむ人々がいる。星野さんが愛した場所を巡ると、希代の個性のルーツが透けてくる。【取材=宮下敬至、古川真弥、栗田尚樹】

(1)倉敷国際ホテル

 星野さんは、倉敷では必ず倉敷国際ホテルに泊まった。美観地区にある老舗ホテルのロビーに展示されている棟方志功の作品「大世界の柵・坤 人類より神々へ」が大好きだった。

 幅12メートルを超える木版画としては世界最大の大作で、人間を愛した志功の世界観が凝縮されている。ロマンチストの星野さんは、所狭しと彫り込まれている群像を眺めながら「あの笑っているのが嶋。あっちは銀次かな」と、うれしそうに話していた。板からはみ出さんばかりに生き生きと描かれた人々と自軍を重ね合わせ、若い楽天の未来に思いをはせた。

 ロビーでは3人掛けソファの真ん中に座り、朝、晩とコーヒーをすするのが日課。番記者とだけでなく、従業員との会話も楽しんだ。桑野千春さん(34)は「だんだん、お代わりを出すタイミングが上手になりまして。ある時『すごくタイミング良かった』と褒めてくれました。記者の皆さんに『お前ら、こういう人を嫁さんにもらえ』と。恥ずかしかったけど、うれしかったです」と懐かしんだ。藤井徹海総支配人(59)は「倉敷の、いや、日本の巨星が落ちました。優しい方で、私の痛風まで心配してくれました」と悔やんだ。

(2)倉敷商

 倉敷国際ホテルから徒歩10分ほど、市内中心部にある。水島から自転車で50分ほどかけて通った。学生服のズボンには、いつもピシッと折り目が入っていた。ケンカが強かったことはもちろん、女性に絶大な人気があった。「オレがいた当時は、野球部は強豪ではなかった。グラウンドも他の部活と共用。今の校舎は建て替えたから、面影は残っていないと思うね」。

(3)足高神社

 井上亮二宮司(80)は「星野のことは昔から知ってる。彼の母親が手袋か何かでグラブを作って、キャッチボールをしていた。ここの山の木を削ってバットを作ったり…早すぎるよ」と懐かしんだ。星野さんは「不規則な階段を走るから足腰が鍛えられる」と、楽天の若手を自分に重ねて走らせ、優しい笑顔で眺めていた。

(4)広島お好み焼き・カレー TAKU

 ニンニクのしょうゆ漬けをウーロン茶で流し込み、麺なしのお好み焼きを激辛ソースで食べた。亡くなってから「星野さんと同じものを」と頼む人が何人かいたという。大森拓店長(63)は「08年頃、最初に来られた時に握手したらグラブのような大きな手でね。いつも『おーい、来たぞ』とフラッと来店。寂しいです」とつぶやいた。

(5)星野仙一記念館

 35年の付き合いだった延原敏朗館長(76)は「星野が、よく夢に出る。夢の中では元気なんだ。つらいよ」と声を絞り出した。亡くなった直後から多くのファンが訪れた。「1日800人、900人と。みなさん、花を持ってきて、泣いて。こんなに慕われていたんだと。記念館を永久的に美観地区に残したい」と希望を語った。

(6)三菱自動車水島製作所周辺

 工場長だった父仙蔵さんが、星野さんの生まれる3カ月前に死去した。母敏子さんが寮母となり、工場から徒歩10分の社員寮に住んだ。寮は病院になったがトタンと三角屋根、海を行き交う船の風景は何も変わっていない。伝え聞くと「懐かしい。いいな」と喜び、昨年11月、学生時代に利用した電車を乗り継いで足を運んだという。

(7)旭川荘療育センター療育園

 現役を引退すると「誰かのために、何かできないか」と同地を訪れ、交流は30年以上も続いた。アメリカからティーボールを持ち込み「星野杯」を立ち上げ、大会にも必ず顔を出した。堀野宏樹副園長(58)は「何より前向きになりました。どこかしらで無理だと諦めてしまうこともあるが、星野さんが変えてくれた気がする」。

(8)お好み焼き 嵯峨野中庄店

 とん平焼き、焼そば、豚玉の順に頼むのが定番。大好きで“3連投”もあった。池田敏吉店長(46)は、初孫の逸平君を抱っこしてもらうのが楽しみで「去年の3月と11月と一緒に写真を撮らせていただいた。ご来店が分かると娘に連絡して広島から駆け付けさせた。まさか2回で終わるなんて」。

<「3・11」から7年>

 ◆楽天嶋(11年の選手会長)「(日本一になった)2013年の喜びを、もう1回みんなで分かち合いたい。優勝して東北を盛り上げたい」

 ◆楽天梨田監督 試合前、選手だけでなく全員に「しっかりした野球をみなさんに見せよう」という話をした。できたのではないか。

 ◆楽天銀次(岩手出身。試合前は募金活動を行い)「個人的には、被災地に行って野球の楽しさを教えて、野球選手が出てくれればいいなと思う。行って野球を教えることが大事と思う」

 ◆楽天高須打撃コーチ(11年当時、主力でチームをまとめた)「イーグルスの存在意義。応援にこたえなくては。選手は『なぜやるか』を考えていってほしい」

 ◆楽天ドラフト6位西巻賢二内野手(18=仙台育英) 少年野球の仲間を心配したことを鮮明に覚えてます。東北の方々に笑顔を与えられるプレーができたら。