富士大・斎藤&岩石、運命と努力で築く二遊間の壁

富士大を支える新二遊間コンビ。左から遊撃斎藤、二塁岩石(撮影・高橋洋平)

 北東北大学野球が21日から開幕する。リーグタイ記録の9連覇を狙う富士大(岩手)は八戸工大(青森)と激突する。斎藤端輝遊撃手(4年=石巻商)と岩石秀喜二塁手(4年=気仙沼向洋)は最上級生となった今春に、二遊間の定位置を確保した。ともに宮城県沿岸部の出身で、11年の東日本大震災で被災した。野球ができる喜びを胸に秘めながら、チームの勝利に、そして連覇更新に貢献する。【取材・構成=高橋洋平】

 4年生になって初の定位置をつかんだ新二遊間コンビが、9連覇に導く。今までベンチ入り経験なしの斎藤は「役割を自覚してチーム力で勝ちたい」と目を輝かせる。昨秋まで代走で1試合のみ出場の岩石も「どんな形でも9連覇に貢献する」と意気込む。3年もの間、光を浴びることのなかった男たちがついに今春、ひのき舞台に立つ。

 決死の覚悟で大学ラストイヤーに臨んでいた。2人は口をそろえる。「今まで試合に出られなかったのは相当悔しかった。このままじゃ終われない」。3月上旬の沖縄キャンプでは、A班から当落線上だった斎藤がオープン戦で意地の2本塁打。「B班に落ちたくなくて、必死だった」。遊撃手が本職だった岩石は出場機会を求めて二塁手に転向。「最初はショートと動きが逆で違和感はあったけど、慣れるしかなかった」と堅実な守備を二塁でも披露し、活路を見いだした。

 3月中旬から始まった関東遠征では、強豪社会人相手のオープン戦で必死のアピールを続けた。斎藤は持ち前の強肩に加え、打撃をさらに磨いてパンチ力が備わってきた。岩石は50メートル6秒0の快足を生かし、積極的な走塁を展開。バントなど得意の小技で相手を揺さぶり、チーム戦術の幅を広げた。二遊間のレギュラーを2人に任せた豊田圭史監督(34)は、抜てきの意図を明かした。

 「もともと力は持っていた。入学から3年間試合に出られなかったけど、腐らずにずっと努力をしてきた。最上級生になって初めてレギュラーを取るのは、大学野球の醍醐味(だいごみ)。こういう苦労人の4年生がチームの強さになる」

 期するものがあった。斎藤は東松島市、岩石は気仙沼市出身で、中2の3月に東日本大震災を経験。自宅は津波にさらされて被災しながらも、高校、大学と野球を続けられたのは親の存在があったからだった。2人は感慨深げに語った。

 斎藤 好きなことをやれ、と言ってくれた親に感謝している。だから大学でも続けられた。楽しんで野球をしている姿を親に見せるのが一番だと思う。

 岩石 高校進学の時に野球をやろうか迷ったけど、両親が肩を押してくれたからこそ今がある。全国でプレーする姿を見せたい。

 斎藤と岩石の高校は県内で同じ東部地区に所属しており、大学入学前からお互いの存在を知る仲だった。2人は笑みを浮かべながら、顔を見合わせた。「偶然進学した富士大で、まさか二遊間を組むとは思わなかった。今でも不思議な感じ」。さまざまな思いが胸に去来する。チームの勝利、先輩たちがつないでくれた連覇、そして親への感謝-。背負うべきものがあるからこそ、戦える。

 ◆岩石秀喜(いわいし・ひでき)1996年(平8)12月10日、宮城・気仙沼市生まれ。南気仙沼小3年から野球を始め、気仙沼中では気仙沼シニアに所属。気仙沼向洋では1年秋の県16強が最高成績。富士大では3年秋に代走で1試合出場。172センチ、68キロ。右投げ右打ち。家族は両親、兄、祖父母。巨人ファンだった祖父養助さんが「秀喜」と名付けた。

 ◆斎藤端輝(さいとう・みずき)1997年(平9)2月22日、宮城・東松島市生まれ。大曲小4年から野球を始め、矢本二中では東松島シニアに所属。石巻商では1年秋の東北大会出場が最高成績。富士大ではリーグ戦出場なし。180センチ、73キロ。右投げ右打ち。家族は父、弟、祖父母。「端輝」の名には「真ん中で輝くのは当たり前。端っこにいても輝けるように」という意味が込められている。