「若手のお手本」衣笠祥雄さん悼む球界コメント集

77年、広島日南キャンプでバットを構える衣笠祥雄さん

 プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。

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 巨人高橋監督「衣笠さんと山本浩二さんの2人は広島の象徴だった。元祖鉄人という感じですよね」

 ヤクルト小川監督「前回に監督をしていた時に解説で来られていて、1、2回お話をさせていただきました。やはり鉄人というイメージです。ご冥福をお祈りするしかないです」

 中日森監督「鉄人と言われていても(周囲から)キツいことは言われないし(ご自身も)言わない優しい人だった。いつも優しい言葉をかけてくれた。ゆっくり休んでほしい」

 DeNAラミレス監督「僕も985試合連続出場(外国人選手記録)したから、試合に出場し続ける大変さを経験している。日本を代表するレジェンドで、ロールモデルとなる方。尊敬される方が亡くなり、非常に残念」

 楽天梨田監督「昔、近鉄と広島は弱くて、オープン戦でよく対戦していました。それが、昭和54、55年に日本シリーズで対戦するようになってね。とにかく元気の源みたいな方で、人懐っこくて『ナシ、元気か?』と気さくに声を掛けてくれる方でした。衣笠さんのけがをしても辛抱強いその姿を見て、今の強い広島の礎が築かれたのだと思います。大きな人を失い、残念でなりません。ご冥福をお祈り申し上げます」

 ソフトバンク工藤監督(86年の日本シリーズで対戦)「真っ向勝負にフルスイングで応えてくれた。どこまで飛ばすんだというスイングだった。名球会に入った時に『若いやつで頑張っていって』と喜んでくれた」

 西武辻監督「日本シリーズで対戦している。キャンプの時など話をさせてもらいました。話をする時は物腰の柔らかい方。テレビで見て知りました」

 ロッテ井口監督「突然の悲報に接し、大変驚いております。2215試合連続出場など、数々の偉業を成し遂げられた姿は今でも覚えています。最近も仕事をされていたと聞いていましたので残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます」

 日本ハム栗山監督「プロ野球選手として一番大事なことって、監督の立場から見れば、ずっと試合に出続けられる強い選手を育てること。大切なことを教えてもらった。ショックです」

 侍ジャパン稲葉監督「いつも『頑張れよ』と笑顔で言ってくれていた。あれだけ試合に出続けられる体の強さは、今でも素晴らしいことだと思います。(侍ジャパンの)監督になってからは、お会いできていなかった。非常に残念です。ご冥福をお祈りします」

 安仁屋宗八氏「鉄人と呼ばれたんだから、いつまでも元気でいてほしかった。これからも1人のOBとして天国からカープの戦いを見守ってもらいたい」

 大下剛史氏「悲しいというより寂しい。二遊間を組んでいた(三村)敏之が逝って、今度はサチ…。75年の初優勝メンバーの内野手は私とホプキンスだけになってしまった」

 ソフトバンク達川ヘッドコーチ「ずっと野球の話をしていた。野球を一番愛していたのは衣さん。マウンドに来て投手に声を掛けるのがうまく、試合中も穏やか。人を悪く言うことは絶対なかった」

 北別府学氏「ピンチの時にもすぐにマウンドに来て『頑張れ』と背中を押してくれた。いつもにこっと笑って、怒られたことなんてない。あの優しい笑顔は忘れられない」

 大野豊氏「残念で寂しい。広島の…ではなく、世界の衣笠さんだから。マウンドによく声をかけに来ていただいた。怒られたことは1度もない。いつも優しく元気づけられた。頼りになる方だった」

 小早川毅彦氏「プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝しきれない。現役時代は若手のお手本だった」

 山崎隆造氏「現役の頃は格好良くておしゃれで、憧れだった。日本シリーズでダブル解説できたことが思い出」

 中日森脇野手チーフコーチ「移籍1年目の日南キャンプで同部屋になった。細かい心配りをしてもらい、素晴らしい人格者だった」

 広島前監督野村謙二郎氏「カープといえば浩二さんと衣笠さんだった。そんなレジェンドの方が亡くなって寂しい。現役の頃は調子が悪いと叱るというよりも激励してくれた。本当に優しい方だった」

 中日長嶋外野守備走塁コーチ「高校から入ったばかりのガキを一番優しく一から教えてくれた。あの人がいたから、これくらいなら大丈夫という故障の目安ができた」

 元阪神監督・吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家)「私は衣笠と同じ京都生まれ、京都育ちで、古い付き合いでした。私が阪神監督1年目の75年、広島はルーツ監督辞任で、古葉監督のもとで初優勝を遂げますが、衣笠は4番と5番で起用されて勝負強かった。今だから言えますが(元広島監督の)三村(敏之)らとうちにきて夕食をしながら、内野守備の話で熱くなったのを覚えています。ことあるごとに『いつか指導者になれよ』と願望を込めてきましたが…。鉄人といわれて100歳まで生きると思っていたので無念です」

 阪神掛布SEA「広島に移籍した江夏さんの自宅で衣笠さんと食事を一緒にさせていただく機会があり、阪神の4番として、全ての試合に出る大切さを教えてもらいました。『ホームランやヒットも大事だけど、三振する姿やエラーする姿、グラウンドで掛布雅之の野球の全てをさらけ出すことが大事』と。その言葉があったから、81年から5年連続で全試合出場することができました。私にとっては野球人生のターニングポイントになった出会いでした」

 ソフトバンク王球団会長「鉄人といわれた衣笠さん、こんなに早く亡くなられるとは信じられません。けがを乗り越え達成した連続試合出場記録は絶対に続けるんだという強い気持ちがあったからですし、その気持ちは後輩にも受け継がれていると思います」

 阪神鳥谷(プロ野球歴代2位の1914試合連続出場中。衣笠氏の2215試合連続出場を追う立場)「ずっと出ることはすごいことだと思います。頑張って、という声をかけていただいていたので…」

 ヤクルト河田外野守備走塁コーチ「自分が(広島から)西武にトレードになった時に春野キャンプに激励に来てくれた。去年横浜で解説をされた時に、あいさつさせていただいた。だいぶ痩せられていた。その前に広島の病院に行っていると聞いていた。優しい方で、良くしていただきました」

 ヤクルト石井琢打撃コーチ「名球会の大先輩で、いつも気に掛けて声を掛けていただいていた。偉大な方。ご冥福をお祈りします」

 西武嶋打撃コーチ(広島の後輩)「一緒に食事をさせてもらったこともあります。カープ時代はいろいろ助言もしてくれました。ショックです」

 西武炭谷(平安高の後輩)「1年目から声を掛けていただいた。偉大な先輩なのでびっくりしました。平安OBの中でもNO・1。尊敬して目標にしていました」

 ドジャース前田「少し体調が悪いといううわさは聞いたりはしていた。すごく悲しい。カープにとって歴史に残る素晴らしい選手。どんなことがあっても絶対に試合に出るとみんな言っていた。今後(連続試合出場の)記録を塗り替える選手は出てこない可能性があるので偉大な方だと思う」

 巨人鹿取GM「現役時代はオーラがあって怖くて、なかなか話し掛けることができなかった。よく打たれた。空振りして、もう1球投げたら打たれることがよくあった。評論家になり、優しい方だと感じた」

 巨人斎藤投手総合コーチ(現役時代に対戦)「若い時は衣笠さん、山本浩二さん以外は全部左という時代。自分は出だしの頃で、常に緊張していた。対戦できたことは良かった。殿堂入りの先輩ですし、残念です」

 巨人阿部(16年日本シリーズの解説で共演)「2年前、一緒にテレビの解説をやらせてもらった。その時にまだまだ頑張れると言ってもらった。あれだけの記録を作られた方、本当に残念です」

 巨人上原(小さい頃に見ており)「ずっと鉄人のイメージで、ケガしても試合に出ていた。連続出場の記録は今の選手には出来ないこと。本当に残念です」

 巨人坂本勇(19日のDeNA戦で対面)「この間お会いしたばっかり。突然で残念です。内野手であれだけ出続けたのは僕では考えられない次元の話。すごく尊敬しています」

 ヤクルト宮本ヘッドコーチ「小さい時から見ていた選手。試合に出続けるすごさは実際にレギュラーをとってすごく分かりました。ましてや内野手で出続けられてすごいと思います。初めて名球会に行った時に気さくに声を掛けていただきました。去年の宮崎の名球会で江夏さんと仲良く楽しそうに話をされていた印象があります。残念です」

 ヤクルト青木「星野さんに衣笠さんも突然で…。体調が悪そうなイメージはなかったので驚いています」

 日本ハム荒木2軍監督(83年プロ初登板の相手が衣笠氏)「テレビで見ていたスイングを生で見られて、うれしかった。目いっぱい投げ込みました。それ以来、塁に出るたびに声をかけてくれた。年齢も実績もかけ離れているけれど、良くしてもらった」

 日本ハム中田「オレごときがコメントすることじゃないけど、プロ野球界を先頭で引っ張ってきてくれた方。残念です」