若返りの煽りくった村田修一がNPB復帰に拘った訳

ベンチからグラウンドを見つめる栃木・村田

 横浜(現DeNA)、巨人などで活躍したBC栃木の村田修一内野手(37)が、今季限りで現役を引退することが7月31日、分かった。

 今日1日に記者会見を行う。昨季、巨人から自由契約となり、今季は独立リーグでプレーしながらNPB復帰を模索。「最後の区切り」としていた支配下登録期限の7月31日までにオファーは届かず、決断した。シーズン終了までプレーを続け、プロ16年目のキャリアに終止符を打つ。

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 村田が男らしく去る。4月の開幕から独立リーグで若い選手たちと交じり、泥まみれになって大好きな野球に取り組んできた。だが、7月31日までに吉報は届かず「もう1度、NPBの舞台に戻りたい」の願いにはかなわなかった。栃木では「4番三塁」でスタメン出場を続け、3戦連発や月間MVPなど、力を証明した。ファンからもNPB復帰待望論が根強かったが正式オファーはなかった。

 02年ドラフト自由枠で横浜に入団。プロ1年目から25本塁打をマークし、抜群の存在感を示した。国内FA権を行使し移籍した巨人では主戦としてリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。守備でも3度のゴールデングラブ賞を受賞。「連盟表彰はないけど勲章の1つ」と、NPB在籍15年間で現役最多の150死球は「男・村田」を象徴する。

 昨オフ、巨人から自由契約を告げられた。ショックを飛び越え、戸惑いを覚えた。移籍先が決まらぬまま過ごしたオフは孤独だった。「ランニングをしてても何のために走ってるのか、と思ってしまう」と本心が漏れた。米メジャーキャンプに招待選手としての打診もあった。大学院進学も考えた。でも、NPB復帰だけにこだわった。

 3月に独立リーグ栃木入りを表明。「最後の最後まで可能性にかけたい。ここで若い選手たちと一緒にNPBを目指す」。家族と離れ、人生初の1人暮らしは、米とぎ、洗濯機の使い方を学ぶとことから始まった。栄光を守ることより、野球をプレーすること求めた。公式戦42試合に出場し、打率3割5分2厘、9本塁打、44打点。納得いくまでバットを振った。

 球界全体が若返りを推し進める時期と重なったことも不運だった。実績は申し分ないからこそ、加入すれば必然的に起用が増える。そうなれば、若手の出場機会が減少することが懸念されたのは否めない。「やることはやった。やっぱり野球は楽しかった」。当初はNPB支配下登録期限の7月31日までで引退する意向を持っていたが「出来ることは恩返ししたい」と、栃木への感謝を込めてシーズン終了までプレーをする。今日8月1日に栃木・小山市内で会見を行う。村田が男らしくバットを置く。