松坂復活4勝、盟友村田に「僕らの世代まだやれる」

 中日対阪神 2回表阪神1死、ロサリオの打球にグラブをはじかれるも投ゴロに打ち取った松坂(撮影・前岡正明)

<中日8-5阪神>◇1日◇ナゴヤドーム

 背中の捻挫のため2カ月ぶり公式戦マウンドに上がった中日松坂大輔投手(37)が“再復活”を飾った。阪神15回戦(ナゴヤドーム)で5回2失点。5安打6四死球と苦しみながら、粘りに粘って4勝目を手にした。この日、「松坂世代」のBC栃木・村田修一内野手(37)が会見し、今季限りでの現役引退の意向を示したが、レジェンドはまだまだ投げ続ける。

 軽やかにベンチを出て、ナインを出迎えた。「連勝中だったので自分で止めたくなかった。今日はみんなに助けられて勝たせてもらいました。自分では何もできなかった」。最下位脱出に導く仕事に、少しだけ胸をなで下ろした。

 3回までに8残塁。乱れても“大けが”だけは避けた証拠だ。2回は北條への押し出し四球で先制された。高橋の3ランで逆転した直後にも1失点。制球難でふらふらに見えた。

 だが2回2死満塁はナバーロを右飛。3回2死満塁では左打者の糸原を外角スライダーの「バックドア」で見逃し三振に。途中からカーブとチェンジアップも入れて幻惑。最後の2回は3人ずつで抑えた。野手温存のため5回の打席に立ってから交代。94球。森監督は「5回を投げられるか見ていた」とうなずいた。

 6月17日の西武戦直前に「背筋の捻挫」で登板回避。7月13日の球宴第1戦で“復帰”したが1回5失点と打たれ、状態が心配された。球宴後すぐ森監督と登板日を選定。2週間以上空けると決めた。今回も出場選手登録を抹消される。

 「松坂世代」の言葉が生まれた横浜高の98年春夏甲子園連覇から20年。この日の最速は当時より10キロ以上遅い140キロだったが、20年分の経験を詰め込んだような意地の投球だった。

 今年復活した自身と逆に、前巨人村田修一が一線を退く。会見で「大輔の背中を追ってきた。1日でも長く野球をやってほしい」とエールを送られた。昨年、ソフトバンク退団後に去就が決まらなかった松坂は、村田の動向をずっと気にかけていた。実は村田の中日入りを誰より熱望し、球団に思いを伝えていた。

 「シュウに言いたいのは可能性はゼロじゃない。来年に向けて、あきらめないでほしい。やめないでほしい。僕はもがき続ける姿を見せる。自分たちはまだやれるんだと、僕らの世代みんなで見せていきたい。そこにシュウも入ってきてほしい」。しんみりとした表情で、自分なりのメッセージを発した。【柏原誠】