元西武石井義人監督が現役復帰!あるぞ「代打オレ」

天皇賜杯に選手兼任で出場する佐藤病院・石井監督

代打の切り札で東京ドームを沸かせた元プロが、「現役復帰」で一肌脱ぐ。公徳会佐藤病院(山形・南陽市)が地元開催の天皇賜杯全日本軟式野球大会(9月7日に開幕式、試合は同8日から。荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがたほか)に出場する。就任2年目の石井義人監督(40)は、西武など日本プロ野球(NPB)で16年プレー。巨人のユニホームを最後に14年限りで引退したが、今大会は選手兼任監督で臨む。ベンチで采配を振るとともに、自身も代打要員で待機。まずは過去最高の8強入りをステップに、上位進出に挑む。

「代打オレ」が、上位進出へのカギとなる。石井監督は「(打席に立つ可能性は)あるかなと。代打で」と、天皇賜杯は兼任監督で臨むことを明かした。

軟式野球最高峰の大会が、今年は地元山形で開催される。石井監督は「47都道府県持ち回りの中で、巡り合わせが良かった。佐藤病院にとっても、自分にとってもいい大会にできるように、結果を出していきたい」と意気込んだ。戦力も元NPB捕手や米マイナー外野手らを擁し、山形では敵なし。今年は7月までの戦歴で、練習試合を含め18勝4敗2分けと勝率8割を超える。同監督も「ここでの集中力が昨年よりある。経験していけば、もっといいチームになる」と手応えを口にする。

そして、自らも戦力の手駒に加える。規則で元NPB選手は復帰申請の手続きが必要だが、40歳以上には適用されない。石井監督は7月に不惑を迎えたことで、練習試合で打席に立ち、試合勘を確かめた。「軟式はボールがつぶれる難しさがあるけど、技術は落ちていない」と現役復帰を決めた。巨人移籍1年目の12年には、代打で4割を超える打率(37打数15安打)をマーク。中日とのCSファイナルステージ第5戦ではサヨナラ打を放ち、同ステージMVPに輝いた。一振りの勝負強さには定評あるが、「確率的にどっちがいいかと言えば、自分になるだろうけど、逆にオレが行かない方がいいのかなとも考えてしまう。ただ、選手を気にするとできない」と強い信念を持って臨む。

佐藤病院には昨年入社し、一社員として就労支援センターでの業務に従事する。同6月から監督に就任し、平日練習は火曜、木曜の午後2時から3時間程度。指導にあたり「何に対しても、必死になる気持ちを伝えてきた。山形の中では強いかもしれないけど、全国でみたらまだ気持ちが弱い」と、メンタル面の重要性を説いてきた。8度目の出場となる天皇賜杯では、昨年の3回戦進出(16強)が過去最高。それでも昨年は優勝した和合病院(愛知西)に2-4と善戦した。勝ち上がれば、準々決勝は和合病院との雪辱戦を想定。「長打はないけど、つなぐ野球をしっかりやれば勝てる。チームとしてやっとまとまるようになってきた」と、ホームで実りの秋を意気込んだ。【中島正好】

◆石井義人(いしい・よしひと)1978年(昭53)7月12日生まれ、埼玉県出身。浦和学院(埼玉)では3年春夏の甲子園に出場し、96年のドラフト4位で横浜(現DeNA)入り。02年に西武移籍。05年は5月の月間MVPに輝くなど、初の規定打席に到達し、打率3割1分2厘はリーグ4位。12年から巨人でプレーし、14年に現役引退。1軍通算は939試合で打率2割9分(645安打)、30本塁打、212打点。ポジションは内野手。引退後は16年までBCリーグ武蔵の打撃コーチを務め、17年から佐藤病院。178センチ、85キロ。右投げ左打ち。

◆公徳会佐藤病院 1979年(昭54)7月、佐藤神経科内科医院からスタートし、82年に佐藤病院(南陽市)を開設。現在は山形県内に医療関連、デイケア事業など、16のグループ関連施設がある。軟式野球部は82年創部で、翌83年にBクラス、86年にAクラス昇格。天皇杯は01年に初出場。13年から6年連続で天皇杯、国体、東日本大会の3大大会出場。14年の東日本では4強入り。社会医療法人「公徳会」の佐藤忠宏代表(78)が部長を務める。

◆天皇賜杯全日本軟式野球大会 1946年(昭21)に始まり、今年が第73回。全47都道府県から予選を勝ち抜いた代表が出場。軟式野球では最高峰の位置づけで、第3回から天皇杯が下賜される。83年の第38回大会決勝では、ライト工業(東京)が延長45回、8時間19分の死闘の末に田中病院(宮崎)を下した。東北勢の優勝は59年第14回大会での合同酒清八戸(青森)のみ。