江夏氏V3「大したもの」盟友衣笠氏他界…日本一を

広島での思い出を語る江夏豊氏(撮影・加藤哉)

広島のリリーフエースとして79、80年の日本一を支えた江夏豊氏(70=野球評論家)が、親友、そしてカープへの思いを語った。今年4月23日に、当時のチームメートである衣笠祥雄氏が上行結腸がんのため71歳で死去。突然の別れがあった18年に、緒方監督率いる後輩がリーグ3連覇を成し遂げた。江夏氏は公私ともに親交が深かった「サチ」との思い出を振り返りながら、34年ぶりの日本一を願った。【取材・構成=編集委員・高原寿夫】

セ・リーグ3連覇か。大したものだ。今の時代、連覇でも難しいのにな。セ・リーグでは巨人以外、初めてだろう。本当によかった。おめでとう! と言いたいよ。

いろいろな球団でプレーしたオレだけど最初に入った阪神に愛着があるのは当たり前だ。でも広島でプレーした3年間は選手として本当に楽しかった時代だ。やっぱり勝ったからかな。それまでの阪神、南海で優勝経験はなかった。プロ野球選手というのは、そこが大きいんだ。この世界は結果が大事。やはり勝つことが一番なんだ。

それとやっぱり友人だな。衣笠祥雄。彼の方が学年で2つ上なんだけど、オレは「サチ」と呼んでいた。オレたちの間ではそんなもんよ。サチ、サチと言ってな。よく遊んだよ。キャンプ地の日南に行きつけのスナックがあってね。オレは酒を飲まないけどサチは飲むよな。

それで、いつもカラオケになるんだ。サチは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が好きだった。オレはやっぱりアリスだな。「陽はまた昇る」が好きで。イントロがよくてね。まあ朝まで歌ったり。本当に広島時代は野球でも遊びでも楽しい思い出しかないな。そのサチも今年、逝ってしまった…。そういう年にカープが3連覇なんだな。

最初に広島に移籍したときは正直、戸惑った。阪神で9年間やって南海に移籍したとき、同じ関西のチームなんだけど、なんというか“都落ち”というような、そんな気がした。それで次に広島だろ。今から考えれば失礼な話だけど「ついに広島まで行くのか…」と落ち込んだもんだ。

67年(昭42)、阪神に入団して遠征で初めて広島に行ったときの印象だな。今でこそ発展して大きな街になっている広島だけど、当時はそれほどでもなかった。これも失礼だけど、正直、あまり明るい感じを受けなかったんだな。トレードを聞いたときに、そう感じたのはその印象が強かったのかもしれんな。

でも広島に来てみて、それは違ってたことが分かったんだ。本当にみんながよくしてくれた。野球でもプライベートでも。親友と呼べる存在もできたんだからな。

チームとしての広島の良さは、よく言われるけど、やっぱり生え抜き選手を中心に固めているということだろう。それが野球に関係あるのかと思う人もいるだろうけど、やはり、これは大事なことだ。だからこそ、カープ女子というのか、若者にも人気があるんじゃないのか。

オレは渡り鳥だったからな。余計、そういう風に思うんだよ。本音を言えば、オレだって阪神で骨をうずめると思っていたから。まあ、阪神を放出されたことで友人もできたんだけどな。

緒方監督は選手を使うのがうまいと思う。人間だから好き嫌いは当然、あるし、それは野球の監督でも同じだ。もちろん緒方にもそういう面もあるはずだ。でも、そのことを理由に起用を決めるようなことはしていない。そう感じる。広島の知人から彼は義理堅いということをよく聞くんだ。そういう男だからこそ、結果も出るんじゃないか。

オレがいた79年(昭54)80年(昭55)にカープは連続日本一を成し遂げた。緒方監督が率いる広島はまだ日本一になっていないだろ。去年はクライマックス・シリーズでああいう形で負けたしな。今年こそ、日本一になってほしいと思っている。

◆衣笠氏と江夏氏 語り草になっているのが「江夏の21球」だ。広島が初の日本一に輝いた79年、近鉄との日本シリーズ第7戦。広島1点リードの9回裏、クローザーだった江夏氏は無死満塁の危機を迎えた。ベンチは延長に備え、ブルペンに準備をさせた。これを見た江夏氏が「何でオレの後に投手をつくるんだ!」と冷静さを失った。ここでマウンドに歩み寄ったのが一塁を守っていた衣笠氏だった。

「お前がやめるならオレもやめてやる」。そう声をかけられた江夏氏は落ち着きを取り戻し、カーブの握りのままスクイズを外す投球で名場面を生んだ。「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」とのちに話している。

今年4月に衣笠氏の訃報に接した江夏氏は「いいヤツを友人に持った。宝物だ。ワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ。それが楽しみだ」と話した。

◆江夏豊(えなつ・ゆたか)1948年(昭23)5月15日、兵庫県生まれ。大院大高から66年ドラフト1位で阪神入団。最多勝2度、最優秀防御率1度。76年南海に移籍し、救援転向。広島、日本ハム、西武と移り、最優秀救援投手5度。通算206勝158敗193セーブ、防御率2・49。左投げ左打ち。