広島新井が明かすV3達成の強さ/優勝インタビュー

メッセージを込めた色紙を手に写真に納まる新井(撮影・栗木一考)

<広島10-0ヤクルト>◇26日◇マツダスタジアム

広島新井貴浩内野手(41)が、日刊スポーツのインタビューに応じた。今季限りで引退する大ベテラン。3連覇の喜びとともに、達成を可能にしたチームの強さを明かした。【取材・構成=大池和幸】

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息子の成長を見る父親のような目。新井は後輩たちの成長に感心していた。

新井 一昨年より去年の方が落ち着いていたし、今年の3連覇はさらに落ち着いていた。試合って生き物だし流れがある。敏感に感じ取れているんじゃないかな。ここは一気に攻めるところとか。打つだけでなく、四球を選んだり。我慢して守ってリズムを持ってくるとか。若い選手が多いけど、洗練されてきた。

田中、菊池、丸の同学年トリオが引っ張り、鈴木や野間らが見て学ぶ。チームの芯ができあがったと感じている。昨年まで在籍した石井琢朗打撃コーチ、河田雄祐外野守備走塁コーチ(ともにヤクルト)の“遺産”も大きいとした。

新井 例えば琢朗さんなら、ノーヒットでどう1点を取るか。無死満塁でゲッツーの1点でもOKっていう考え方だったり。あとはとにかく球数を放らせる。中盤からジャブのように相手にダメージが来ると。河田さんが就任されて印象に残っているのが、三振してワンバウンドで捕手がはじいたら、絶対に一塁に走ろうと話されたこと。弱いチームはできていない。それは野球に取り組む姿勢。河田さん、琢朗さんの教育が若い子たちに残っている。

「人が好き」という。年齢、実績を気にせず、よく話しかける。

新井 楽しいから。生まれつき。コミュニケーションを取ろうと、わざとやってるわけじゃない。カープというチームが好きだからみんなかわいいし、良くなってもらいたい。ファームの選手だろうと、家族みたいな感じでとらえている。弟と話すのに苦労しないでしょ? そんな感覚。

快活だったマーティ・ブラウン監督(06~09年)の影響もあるそうだ。

新井 マーティが最初に「監督室のドアはいつでもオープン」と言ったのが印象に残っている。野球以外に家族の話や心配事でもいいし、いつでも来てくれよと。こういう監督もいるんだとすごく新鮮だった。

相互理解が難しい投手と野手の間に立つことができる、本当に貴重な存在。

新井 ペナントは長丁場。いい時もあれば、悪い時もある。そこで忍耐、我慢が必要になる。でも基本的にはみんな仲間だし家族だし、助け合うことが大事。まだ若い選手が多いので、どうしても感情的になりやすい。瞬間的に頭に血がのぼることもある。自分も若い頃はそうだった。

20代後半、京セラドーム大阪での記憶がある。

新井 今でこそこんな感じだけど、若い頃は打てなかったらベンチ裏で大暴れしていた。バットを投げて壁に穴を開けて、修理代10万円払ったこともあった。いろいろ経験していくうちに、特に負の感情を表に出すのはろくなことがないと(分かった)。でも若い選手にはある。自分もやってきたし、全部を抑えつけるのは良くない。これは本当に一線を越えたなと思ったら「ダメだよ」って言う。自分の体験を話すよ。

「前へ前へ」と言い続けてきた。戦いはポストシーズンへと移っていく。

新井 短期決戦は難しい。3連覇したけど構えるんじゃなくて、奪い取る気持ちが大事。CSファイナルで日本シリーズの出場権を奪い取りにいく。そして日本一を奪い取りにいく。自分たちが攻めていく。プレーでも気持ちの面でも。自分はこうして今季限りと決めたけど、とにかく目の前の1試合、1打席。スタンスは変わらずいく。

20年間の集大成だ。

◆新井貴浩(あらい・たかひろ)1977年(昭52)1月30日、広島県生まれ。広島工-駒大を経て98年ドラフト6位で広島入団。05年に球団最長タイの6試合連続本塁打。同年本塁打王も獲得した。07年オフにFAで阪神移籍。08年北京五輪では日本代表の4番を務めた。同年末から12年まで労組プロ野球選手会会長を務め、11年には打点王となった。14年オフ、阪神に自由契約を申し入れ広島に復帰。16年4月26日ヤクルト戦で、プロ野球47人目の通算2000安打達成。16年にはリーグMVP。ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞1度。189センチ、102キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1億1000万円。家族は夫人と2男。