<中日4-3阪神>◇28日◇ナゴヤドーム
史上初の1000試合登板を達成した中日岩瀬仁紀投手(43)の試合後会見の一問一答は以下の通り。
-どんなことが胸に去来しているか
「1年目のあの開幕戦(広島戦でリリーフ、1死も取れず降板)からスタートして、ここまで来るのは非常に長かった。肘を痛めて、投げられなくなってからの道のりが大変だった」
-記録の節目で聞かれてきたが、1000試合で一番の思い出は
「いま聞かれたら今日になる。最初か最後かという感じ」
-今日はチームが5連敗の中でのクローザーとしてマウンドに立ったが
「今日は9回を岩瀬でいくと言われてた。点差が点差で、久しぶりに足が震えた」
-打者4人と対戦
「マウンドに向かうときに、大歓声をいただいて、鳥肌が立ちそうだった。そこから投げないといけない。1人1人しっかり投げないといけないと思った。先頭にいい形で追い込んだけど、まさかデッドボールを当てると思わなかった。走者を出してからは、もう1度気持ちを切り替えて、1人1人、対戦していこうと思った」
-終えてみてどうか
「いつも節目には弱い。今日だけは、お願いします、というか、今日だけは運が向いてくれるように願った」
-去年のプロ野球新記録の950回登板も、今日もセーブがついた
「そこで使っていただいた監督に感謝したい」
-お立ち台では涙もあったが
「率直にうれしかった。ちょっと感情が高ぶりました」
-2018年の1000試合登板への意識は
「1000試合については、今年初めから1年から無事にやれば到達できると思っていた。なかなか今年はうまくいかないところもあって、登板数も増えなかった。どうなるのかな、という思いもあった」
-1000試合登板への重圧は
「そんな重圧はなかった。自分の中では、絶対到達しようと思っていた。ケガなく来られて良かった」
-球界最年長の肉体面の強さは
「肉体的に強いと思っていない。支えてくれたトレーナーや、コンディショニングコーチ、治療していただいた方々に感謝したい」
-故障を乗り越えての達成はどう思っているか
「投げられなかったときは、1000どころか引退もよぎった。とてもここまで来られるとは思わなかった」
-引退から立ち上がれた要因は
「応援してくれる人たちと、支えてくれる人たちがいた。ここまで来られた」
-精神面の強さは
「いろいろな経験をした。マウンドに上がれば、スイッチが入るというか、もう1人の自分が出て来る感覚があった。毎日投げるのは怖かったが、マウンドに上がって気持ちを切り替えた」
-今日は若い人たちからマウンドでバトンを受けたが
「今年1年は投手が苦しんだ。最後はああいうふうにつないだ。自分もしっかりつなごうという気持ちで投げた」
-森監督への思いは
「監督とは長い時間やってきた。いいときも悪いときもあって、その中で自分を信頼して使ってきてくれたことに、感謝しています」
-試合後に乾杯したそうだが
「チーム全員で1000試合のお祝いで乾杯をさせていただいた」
-1000試合以降は
「まだ残り試合あるので、しっかりやりたい」
-足が震えた記憶は
「いつもマウンド上がるときは、すごく緊張している。なかなか足が震えるまではいかなかった。(過去に)記憶がない」
-優勝の瞬間や、日本代表として登板したが、涙することはあったか
「覚えていない」
-涙は驚いたか
「まさかこういう舞台で使ってくれるとは思ってなかった。ましてや1点差の場面だったので。感情が出た。抑えて感情が出た」
-うれしかったのか、ホッとしたのか
「両方です」
-福留との対戦はどうだった
「いつも孝介との対戦は、同期で入って、いい思いもつらい思いもたくさんしてきた。対戦するようになって、特別な空間というか、互いに意識しながらやってきた。孝介だけは別な思いがあった」
-次の目標は
「目標の位置に掲げてなかった。あくまでも今年1年やれば、通過できるという気持ちでやっていた。達成できたので、次の登板に向けてしっかり、調整したい」
-1001(仙一)という数字への思いは
「そうやって言われるので、すごく、逆に思いとか…。こじつけてはいけないのではと思う」