プロ初歓喜に思う…後悔の質を上げる/菊池雄星手記

ビールを浴びる菊池

<日本ハム4-1西武>◇9月30日◇札幌ドーム

これが雄星の生き方だ。プロ9年目で初優勝を遂げた西武菊池雄星投手(27)が手記を寄せた。苦しんだ1年目からを振り返り、これからを、どう生きていくか語った。球団は今オフ、ポスティングシステム(入札制度)による米メジャー挑戦を容認する方針。日本ラストシーズンとなるであろう今季に花を添えたエースは、何を思うのか。

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優勝を目前にして、ふと思い出した言葉がある。

「人間は後悔するように出来ておる」

藤沢周平さんの時代小説「蝉しぐれ」の一節。主人公が切腹を言い渡された父と今生の別れをしたけど、許された短時間では思いを伝えられなかった。そのことを悔い、武士なのに涙を流した。それを見た友がかけてくれた言葉だ。

4月に初めて読んだ時よりも、ふに落ちた。プロに入り9年間。後悔したことは少なくない。オフにもっとトレーニングしておけばとか、シーズン中こうすればよかったとか。本当に、いろいろなことがあった。

1度だけ、野球をやめたくなったこともある。

入団1年目だった。コーチの方との関係に悩んだ。今は、もうわだかまりはないが、当時はしんどかった。自分の口からは言えないままのこともあった。僕が反抗的な態度を取ったという報道もあって「雄星って、そんなヤツなんだ」と誤解もされただろう。そうではないと言いたかったけど、すべがなかった。まだ頼れる先輩もいない。周りからいろいろな目で見られていると思うと苦しかった。逃げ出したくもなった。逃げ出さずにすんだのは、後悔したくなかったからなのかもしれない。

後悔はしたくない。だが、絶対するものでもある。ならば、後悔の質を上げていけばいい。この9年間で、その質はどんどん上がっていると思う。今季もそうだった。春先に肩が不調で2軍に行った。6月に戻ったが、今度はフォームが定まらない。こんなはずじゃない。点を取られる自分が許せなかった。

去年の自分にとらわれていた。そのことを気付かせてくれたのは、先輩たちだ。7月。勝てない試合が続いた時、銀さん(炭谷)、中村さん、栗山さんに相談した。「毎年、変わるものだよ」と言われ、割り切れるようになった。それから2段フォームをやめ、状態も上がった。去年はキャリアハイの成績でタイトルも取ったが、あまりうれしくなかった。やはり、優勝しないと心から喜べない。後悔の末に、つかんだ喜びだと思う。

ずいぶん遠回りした。最初から活躍し、最短距離でいければ一番だけど、そうはならなかった。人間関係に悩んだ1年目。成績は3、4年目まで出なかった。ケガもした。それでも、遠回りしたから分かる。量からしか、質は生まれない。がむしゃらに練習した。良いと思ったトレーニング、食事、何でもやった。いっぱい人にも会った。いろいろな経験をし、そこから研ぎ澄まされていった。今は、全ての経験を肯定的に捉えている。

ドジャースのカーショーが好きだ。彼は新人の頃から登板しない日もブルペンに行って、その日、投げる投手に「頑張れよ!」と声をかけてから、自分のトレーニングをするそうだ。世界一の投手が若手を励ましている。今年、僕も苦しんでいる若い子には言葉をかけるよう心掛けた。野球をやめたいとまで思った僕の経験が、後輩たちの役に立つのであればうれしい。

野球人生が終わる時、さらに死ぬ時、何を一番後悔するか? と考えている。答えは「挑戦しなかったこと」。安定を求めるなら、同じことを続ければいい。メディアに出なければ、夢を語らなければ、たたかれることもない。だが、偽りの自分を見せ評価されるより、本当の自分を見せ理解されない方がいい。

「人間は後悔するように出来ておる」

正直に生きていきたい。初めての優勝が、改めて、そう思わせてくれた。(西武ライオンズ投手)

◆菊池雄星(きくち・ゆうせい)1991年(平3)6月17日、岩手県盛岡市生まれ。花巻東では甲子園に3度出場した。3年のセンバツは準優勝、同年夏は4強。3年夏には最速の155キロを計測した。09年ドラフトでは6球団競合の末、西武に入団。昨季は16勝、防御率1・97で最多勝、最優秀防御率に輝いた。184センチ、100キロ。左投げ左打ち。今季の推定年俸2億4000万円。妻はフリーアナウンサーの深津瑠美。