阪神清水ヘッドが伝える矢野野球の肝「野球観一緒」

1日、秋季キャンプで矢野監督(手前)とともに練習を見る清水ヘッドコーチ

<矢野阪神の頭脳~新コーチに聞く~1>

来季の逆襲に向けて矢野阪神が動きだした。どんな野球で上位浮上を目指すのか。矢野燿大新監督(49)が先頭に立って自らの考えを発信する一方で、チーム再建の一翼を担うコーチ陣はどんなアプローチをするのか。「矢野阪神の頭脳」と題して、主要ポストに就いたコーチ勢の思いを4回連載でお届けする。第1回は新たに参謀役を務める清水雅治ヘッドコーチ(54)の野球観に迫る。

◆外野守備走塁一筋

長年の癖はそう簡単には消えない。11月初旬の高知・安芸市営球場。初めてタテジマのユニホームに袖を通したヘッドコーチの清水は気づけば外野手の動きを目で追っていた。「つい、見てしまうんだよな。癖なんだよな」。そう照れ笑いした。無理はない。現役最終の02年、西武で選手兼任のコーチ見習いだった頃から足掛け17年、外野守備走塁一筋で教えてきた。

今季は楽天の1軍を担当していたが、この秋、矢野監督に請われて参謀役に就いた。「監督と基本的な考え方、野球観はすごく一緒だと思う。こういう立場になって思うことがある。外野守備走塁だけを教えているときと全体を見るのはやっぱり違う。今回、全部を見ないといけないし、コーチに委ねながら、いい方向に行くようにというイメージで見ている」。ヘッドコーチは初めてだ。チーム全体の方向性を定め、コーチ陣のかじ取り役も務める。

◆監督の素顔知る男

矢野は青春をともにした盟友だ。中日時代、同じマンションに住み、ナイター前は連れ立って打撃マシンを打ちにいくのが日課だったという。4歳年長の清水には濃密な思い出がある。

「これだけやったら結果として出るんじゃないかと自己暗示みたいな形で行っていた。本当に妥協しないから。野球に対してすごく真面目。最初はどっちが言い出したのか覚えてないけど『行きます、行きます』だったのが最後は連れられるような形になって。『僕は行きますけど、どうしますか』みたいな感じだった」

数えられないほど一緒に食事した。捕手矢野の心根をいまも覚えている。「投手に対する気遣いがね、本当に女房役。ワンバウンドした球はすぐ替えるけど、その球1つにしても、投げやすい球が絶対にある。ちょっと縫い目が高かったりすることもある。捕手が勝手に『替えてください』と言うんじゃなく投手に『これ替えるか』と聞く。なるほどなと思ったよ」。

◆井原監督の眼力

清水は守備走塁に生きた。現役時代に通算124盗塁。西武でコーチ専任1年目の03年は三塁コーチとして名高い伊原春樹が監督だった。

「投手の癖を見るのは、すごかった。あそこまで見ているのかと。打球が飛ぶ方向もね。何げなく(外野手に)寄れ寄れと指示を出すけど、そこに飛ぶのが確率的にすごく高かった」

清水もまた、現役時から研究を重ねてきた。自宅でビデオを回し、投手を見ては癖を見つけた。「目は口ほどにものを言う」。そうつぶやいて、言葉を継ぐ。「一番(癖が)出やすいのは目だよね。目の玉の動きだけで。もちろん球種もけん制も」。視線がどう動くか。ある対戦投手は一塁走者がいる場合、走者を見て、自ら踏み出す足を見て、ホームを見て、投げる。いわば視線は三角形になる。「だけどね、けん制するときは視線が平行なんだ」。敵の魂胆を見破る、まさにプロの眼力を磨いてきた。

◆栗山監督言葉力

グラウンドに立ち続け、多くを体得してきた。「いろんなコーチがいろんなことを教えてくれて、常にヒントを与えてくれた。そこをどれだけ自分のなかで理解してクリアにするか」。指導する時、ついぶっきらぼうな口調になるのだという。あるとき、こんな考え方を知った。「言葉1つだよ。伝わらないときに言い方1つ変えたら、伝わるときもあるよ」。日本ハムのコーチだったとき、監督の栗山英樹が言っていたという。

清水は続ける。「強く言っても聞かない時代。できるだけ相手に伝わる言い方をしてやると早く伸びるんだなとね。矢野監督も、栗山さんとまったく同じことを言っているんだよね」。縁あって、再び矢野と白球の夢を追う。秋季キャンプの指導を終えた清水は言う。「監督が迷ったときに端的にいい答えを出せるのがヘッドコーチかなという気がしている。そこに意識をすごく置いている」。新指揮官の片腕として、チャレンジは始まったばかりだ。(敬称略)【酒井俊作】

◆清水雅治(しみず・まさじ)1964年(昭39)7月7日、島根県生まれ。浜田高、三菱自動車川崎を経て88年ドラフト6位で中日入団。96年に西武へ移籍。02年に現役引退し、03~07年西武、08~12年日本ハム、13~17年ロッテのコーチを務め、今季は楽天の1軍外野守備走塁コーチ。現役時代の通算成績は951試合で打率2割4分4厘、13本塁打、111打点。