カズ山本 まるでマンガのような野球人生/パ伝説

近鉄、南海、ダイエーで外野手として活躍した山本和範氏が野球教室で打撃指導を行う(撮影・浦田由紀夫)

<復刻パ・リーグ伝説>

オフシーズンの水曜日企画「復刻! パ・リーグ伝説」第2回は、強打者「カズ山本」として活躍した山本和範氏(61)。近鉄、南海からダイエー、そして再び近鉄へ。北九州で生まれ、関西でプロ野球界に飛び込み、地元九州で頂点を極め、関西で引退した。誰よりも「ジェットコースター人生」を歩み、誰よりも諦めないメンタルを身につけた。今、地元の子どもたちに野球の楽しさを伝えている。

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北九州市の黒崎駅に隣接する施設に「子どもの館」がある。ホールで少年が楽しそうにキャッチボールしている相手は、元プロ野球選手の山本。現在、館長として野球教室を開いている。

山本 子どもには無限の可能性がある。野球はもちろんだが、夢を絶対に諦めないことを教えたい。

波瀾(はらん)万丈の人生で大切にしてきた素直な思いが口を突いた。

77年に近鉄に入団も投手を「クビ」となり、打者に転向。6年目のオフに戦力外通告を受けた。引退を覚悟したが、バッティングセンターで働きながら打撃を“磨いた”。南海からのラブコールで再びプロへ。身売りで地元ダイエーとなった後は中心打者として活躍し年俸2億円まで上り詰めたが、95年にまたも戦力外通告。衰える体を鍛え直し、古巣近鉄の「入団テスト」を受けて復活を遂げた。2度の「クビ」からタフな精神力ではい上がった。

山本 バッティングセンターのことは、みんなが美談にしてくれているから、助かっているだけですよ(笑い)。あれは努力じゃない。自分が下手くそやから、頑張らないといけなかっただけやからな。

現役時代と変わらない屈託のない笑顔で述懐した。自己最多のシーズン133安打を放った94年は「バッティングセンターで育ったプロ野球選手」として業界団体から表彰される話をもらったが「頭が高いでしょう。イチローさんに失礼です」と丁重に断り、プレゼンターとして200安打のイチローを表彰した。

山本 近鉄では精神的な強さを身につけられた。南海、ダイエーではファンの温かさに触れ、それが自分のパワーになっていくのが分かった。ファンのおかげです。20年以上もプロ野球選手としてできたんですからね。

近鉄を戦力外通告になった後、南海に「拾われた」。ダイエーから戦力外通告を受けた後も近鉄に「拾われた」と思っている。南海では、今年7月に他界した穴吹義雄(享年85)の監督就任に合わせて拾われた。近鉄では当時監督の佐々木恭介(68)が「(右肩の)ケガが治っているのが分かったから合格」と言ってくれた。人の温かさを人一倍感じ、その都度、不死鳥のように復活した。

「地獄」からはい上がっただけでなく「天国」も味わった。打者として迎えたプロデビュー戦は4三振したが、17打席目の初安打は「引っ張ったつもりやったけど逆方向へ飛んでった」と左翼へのアーチだった。

山本 あの長嶋さんのような三振デビューして、王さんみたいに初安打がホームラン。こんな選手おらんやろ。ハハハ。

復活劇も「漫画」のようだった。南海移籍の初打席で安打、近鉄移籍の初打席では代打本塁打。その年の球宴で初めてファン投票で選ばれて出場すると、古巣ダイエー小久保の代打で右翼席へ3ランをかっ飛ばした。そして、結果的に現役ラスト打席となる99年9月30日。リーグ初優勝したダイエーとの最終戦の9回、「自分を育ててくれた」福岡のファンがいる右翼席へ決勝アーチをかけた。ここまでくると言葉では説明できない。

山本 チャンスに強いと言われるけど、特別なことはないよ。でもちゃんと心の準備をして、最高のバッティングをしている自分の姿を思い浮かべて打席に立っていたかな。

思い切り「その気」になっていたのだ。苦労した分、そのエネルギーもまた半端ではなかったのだろう。

ダイエーで活躍した94年には「2番山本」として活躍した。今やバントしない長打がある2番打者はトレンドだが、はるか前に山本はパイオニアになっている。

山本 恥ずかしいけど、そうなんだよな。自分がもし監督をするなら2番に強打者を置きたかったね。

高校時代には留年も経験した。顔が「ドラキュラ」に似ているから「ドラ」と呼ばれた。「子どもが苦労するから」と登録名をサッカー横浜FCのFWカズこと三浦知良にならって「カズ山本」に変更したこともあった。生まれつき難聴だったが「相手の口の動きで覚えろって言われた」。常に前を向いて歩いてきた。

山本 ダイエーのオーナーだった中内功さんのモットー「ねあか、のびのび、へこたれず」が胸に刻まれている。ボクの精神だよ。

九州生まれ関西育ちの強打者は、パ・リーグが生んだ「侍」だったのかもしれない。(敬称略)【浦田由紀夫】

◆山本和範(やまもと・かずのり)1957年(昭32)10月18日、福岡県北九州市生まれ。投手だった戸畑商卒業後、76年ドラフト5位で近鉄に入団して外野手に転向。83年南海移籍。ダイエーとなり94年途中から2年間は「カズ山本」として活躍し96年からは再び近鉄へ移籍。ゴールデングラブ賞1回、オールスターでは2度MVPを獲得した。1軍実働19年で通算1400安打、175本塁打、打率2割8分3厘。99年引退。現役時代は180センチ、80キロ。左投げ左打ち。